[反貧困] ハローワーク体験記─内定辞退の巻 ファンドへの売却前提で「早く満室にして欲しい」
──遙矢当
悩みぬいた末の内定辞退
「明日からの施設長業務に自信がありません。辞退します」─暑さだけが残る夏の終わり、私はようやく手に入れた内定を捨てる決意を伝えた。明日が介護付有料老人ホームで施設長として勤務できるという、晴れがましい日なのに。ようやく長い転職活動が終わりかけていたが、就活の続行を決めたのだ。長い選考を経て、内定を受けた後から、寝汗が乾かぬほど眠れず悩み続けた。話を聞けば聞くほど、嘘をつかれていることに気付いたからだった。
今年に入って、名古屋に本社のあるゼネコンが、関東進出の一つとして、千葉市稲毛区に有料老人ホームを建設した。今、千葉県は介護事業各社がしのぎを削る激戦区である。このゼネコンも、殴り込みを掛けてきたのだ。私には毎日2時間を越える通勤を課せられることになったが、この時世に貴重なチャンスであるとも思い、一時は頑張ろうと思った。
悪名高いゼネコンの介護施設売り抜け
施設は6月に開設して、2ヵ月が経っていた。だが、施設長交代が早々に決まったのだ。選考担当者は、立ち上がったばかりの介護事業部に独りだけ所属していると説明した。実直で理路整然とした面持ちの男性で、学ぶ点も多いと思っていた。
しかし、内定の連絡を受けた後の面談で、唐突にこう告げてきた。「この施設は、将来不動産ファンドへ売り抜けるために企画されました。だから、早く満室(70室)にしていただいて、高く売れるように頑張っていただきたいのです」―私は、血が凍る程の衝撃を受けた。私が70人の高齢者の生活の場を切り拓いても、会社はあっさりとお金に換えてしまい、高齢者と手を切るのか…。既に20人が入居しているという。
施設担当者は続けて、「前任の施設長には、ホームの立上げに失敗した責任を取っていただく予定です」と、突き放して見せた。私は、思わず自信がみなぎる担当者の顔から視線を落とし、床を見つめていた。
担当者から説明を受けた後、私は、「まずは施設を見てみたい」と思い、現地に足を運んだ。厳しい競争を課せられる町並みの中で施設と対面すると、落ち着いた雰囲気のあるその姿は、決して悪い施設ではなかった。足を運んだのは、もちろん「この施設で頑張ってみないか」と、自分を鼓舞するのが目的だった。しかし、荒野に鍬を入れるが如く施設の運営を続けても、今年の2月に味わったあの事業譲渡の寂寞を、ここでも味わってしまうのか。
私は、今回の転職後には、もうあのような思いを2度と味わうことがないよう貢献したいと思っていた。私はこの半年間、それを学び、胸の内側に刻み込んできた。だから、これから勤め始める会社で何を思い描けばよいのだろうか、自問自答を繰り返すばかりだった。「生きる希望を与えることが、介護の役割の一つだ」と理念を掲げる施設は多いが、この施設は最初から、暗い影が差す憂鬱な施設として生まれたのだった。
よくよく思えば、聞きなれないゼネコンだった。改めて調べてみると、@典型的な同族経営の会社であること、Aこの会社は、名古屋でのマンション開発が不振で将来が危ぶまれていること、Bいわゆる「ブラック企業」の一つで、社員への待遇の悪さはゼネコン業界でも有数、ネットの掲示板でも常連であること、C地元名古屋の経済も東京以上に冷え込んできていること、などがわかってきた。
知己のある業界の関係者に尋ねても、皆口を揃え、「あれほど冷淡なゼネコンはない。あの会社なら、介護施設を売りぬけようと、あざとい商売を思いつくのも納得がいく」と、ほぼ全員に反対されてしまった。