[海外] フランス/「移動民」ロマを差別する仏政府サルコジにEUが審判下す
──文・平田伊都子(ジャーナリスト)/写真・川名生十(カメラマン)
〈クズのサルコジ〉大統領がロマ(ジプシー)追放を強行
フランス大統領・サルコジは、新自由主義者としての顔とともに、移民を敵視する極右政治家としても知られる。そのサルコジは「移動民」のロマを国外退去させる強硬策をとり、国内外から強く批判されている。
ジャーナリストで、『南仏プロヴァンスのジプシー』(南雲堂フェニックス/1995年)の著書もある平田伊都子さんに、フランスのロマについて原稿をお願いした。(編集部)
セント・エグナンのロマ射殺事件
今年7月16日の深夜、フランス中部を流れるロワール渓谷沿いの人口1万7000人の町セント・エグナンで、強盗事件が起こった。通報を受けた憲兵隊が町を封鎖し、犯人追跡を開始。
空が青白く明け始めた頃、無灯火の車が1台、非常線に近づいてきた。車は制止しようとした憲兵をはね、バリケードに突っ込む。他の憲兵たちが一斉に発砲し、運転していた若者は死んだ。若者の名はルイギ・ドゥケネ。22才のロマだった。
ルイギの家族は、「息子は免許証の期限が切れていたので逃げただけ」と抗議したが、憲兵隊は彼のわずか2500円の所持金を証拠に、強盗犯人だと主張した。
7月18日、セント・エグナンのロマ50人が、憲兵隊の車2台を燃やし、街路樹をなぎ倒した。サルコジ大統領はこの事件を利用し、21日、「一部の流民やジタン(フランス語でジプシー)がもたらす大問題」と、大キャンペーンを開始した。
28日、仏政府閣議でブリス内務大臣が「騒乱ロマの追放と、600の不法ロマ・キャンプ撤廃を3ヵ月内に強行」と宣告した。
8月19日、サルコジ仏大統領はルーマニアに向かう民間機で、最初のロマ追放を強行した。22日、バチカンの教皇・べネディクト16世が、フランスのロマ追放を人道的観点から非難した。多くのロマはカトリック信者で、彼の信奉者でもある。
25日、ヴィアンヌEU司法弁務官が「第2次大戦後、最も忌むべき人権侵害」と、サルコジのロマ追放を糾弾した。27日には、国連人種差別委員会がサルコジに「ロマ集団追放を中止するように」と、勧告した。
しかしサルコジは、9月4日、「7万7300名のロマは、追放の対象になる」と、態度を硬化。
9月9日、ルイギの遺族たちは、弁護士を伴って、ボア法務局に直訴する。息子の強盗嫌疑を晴らすために何度も憲兵隊や町役場に足を運んだが、取りあってくれなかったからだ。が、ついに司法大臣も事件の再検討をせざるをえなくなった。
フランス人の「ロマ嫌い」
「俺は些細なことでガジェと喧嘩した。ところが監獄にぶち込まれたのは俺だけ。『ロマだからだ』と看守が言うんだ」と、友人のアントワンヌは南フランスのトゥーロン刑務所から私に便りをよこしたことがある。ロマは、非ロマを「ガジェ」(よそ者)と一まとめに呼ぶ。
BBC・TVは、「普通のフランス人は、ロマを乞食だと思っている」と、レポートした。フランス人にとって、ロマは「物貰い」「泥棒」「犯罪者予備軍」なのだろうか?
サルコジ仏大統領は、移民・流民(ロマ)を目の敵にし、内相時代から締め付けを強化してきた。しかし、そういうサルコジ自身が、ハンガリー移民2世なのだ。
2005年、2人の北アフリカ移民2世が、警官の追跡中に死亡した。この事件は、フランス全土で移民法反対の大デモを巻き起こした。サルコジ内相(当時)は、移民・流民(ロマ)を〈人間のクズ〉と罵倒し、強権をふるう。つまりサルコジ自身も、〈人間のクズ〉ということになる。
今年9月に入ると、〈クズのサルコジ〉は、ロマ追放をますます強化させていく。
9月4日、社会党や共産党など約60の団体が、フランス全土で〈ロマ不法滞在者送還反対デモ〉を打ち上げた。参加者数は、主催者発表で約10万人。ベルギー・ブリュッセル、ポルトガル・リスボンにもデモは飛び火した。
しかしサルコジは、「05年のデモに比べたら屁でもない」とうそぶき、「ジタン(ジプシー)キャンプは、子供の物乞いや売春や犯罪の温床だ」と、自説を繰り返した。
9月14日、EU司法委員会は、「サルコジ大統領のロマ追放は、EU憲法に違反している」として、法的審理を行うことをフランスに通告した。しかしサルコジは、「フランスはロマに3ヵ月の滞在を許可する。それ以後は労働許可書か居住証明書がいる。なければ追放する」と、この日も160人のロマを追放した。問題は、このロマ追放策を、仏国民の65%が支持していることだ。