[社会] 過労死・過労自殺と「強制された自発性」
日本の労働のあり方を象徴する過労死
「お父さんは働かされていた。僕たちは、やり甲斐を感じて働いている」─過労自殺で夫を失った寺西笑子さんは、長男の言葉を聞いて大泣きしたという。
2人の息子たちも過労死予備軍。長時間勤務が続いて、朝起きられない。「夫に加えて息子まで過労死させてなるものか」という強い思いがある笑子さんは、朝の目覚ましを頼まれたが、「寝たいだけ寝ればいいし、それでクビになるのなら(会社を)辞めてしまえばいい」と言い続けていた。
冒頭の長男の言葉を聞いて笑子さんは、あらためて「働き過ぎ」の広さと根深さを思い知ったという。息子たちの「働き過ぎ」は自発性を含んでおり、「強制された自発性」の中に息子たちも囚われていることを見たからだ。
「過労死・過労自殺は、特殊な個人の不運な受難ではないし、特別に悪徳な企業や管理者のもとで起こった例外的な問題ではない」と語るのは、熊沢誠さんだ。「多くの会社員が、競争的環境の中で生き残るために、『自発性』を伴いながら身につけている態度」だ、と分析する。こうした職場の実態から、過労死は、日本の労働のあり方を象徴する問題として見えてくる。
企業労務管理の価値観を内面化し、死ぬまで働いてしまう「強制された自発性」について、諸氏の意見を紹介しながら考えてみたい。(編集部・山田)
労働強化の悪循環
8月の「職場の人権」定例会は、過労死をテーマにした。この日の報告者である熊沢誠さんは、過労死・過労自殺の原因としてまず、@企業側の労務管理の強化、を指摘する。ノルマ引き上げ、リストラ、賃金引き下げなどを通した搾取強化が過労死の主因である、という。
その上で、Aこれをチェックすべき行政や労働組合の機能不全、そして、B労働者の主体性=「強制された自発性」の問題、を指摘した。
「労働現場は、際限のない悪循環に陥っている」と指摘するのは、柴田義雄さん(社会学博士)だ。「成果主義労務管理は、労働者の競争を煽り、過労死を招くほどの労働強化がまかり通っている」としたうえで、「これをチェックすべき行政・労組は、機能不全を指摘されて久しい」。
こうしたなか個々の労働者は、相互連帯の欠如によって必死の競争的適応をせざるを得ず、これが経営にフリーハンドを与えることとなり、容赦ないリストラ、査定・賃金などの処遇によって労働者間の競争がさらに煽られる、という悪循環となっている。