[コラム] 五味正彦/今語りたい60年代からのミニコミ史
市民運動、ミニコミの誕生
この欄で何度か、今年10月にミニコミ書店模索舎が40周年を迎えること、そのプレイベント的に当時の状況、ミニコミ市民運動、模索舎がどのように作られたのか等の話を私は何度かしてきたことを書いた。
「どんなミニコミがあったのか?」
「今どこで見ることができるのか?」
必ず出る質問だ。
私が話をしたイベントには、ミニコミに興味があり、自分でもつくっている若者も沢山来ていたが、その多くの人たちはミニコミの歴史もその言葉の意味もほとんど知らない。
きちんと語り継がれぬまま、本・雑誌・新聞も含めた紙メディアそのものが、縮みはじめた、という危機的状況の今だ。
そこで2つの問いに少しずつ答えていこうと思う。
模索舎40年、つまり1970年に模索舎ができたのだが、ミニコミの歴史はその数年前、1967、68年に始まる、と言ってほぼ間違いない。
67、68年はどんな年だったのか。自分史的に書くと、67年10・8第一次羽田闘争へ三派の一員で参加。この日を境にサンパシンパをやめ、自前のノンセクトの運動づくりを決意。同じような考え方の諸君と出会うことができ、11・12第2次羽田闘争には、独自の学生グループをつくり、市民運動の人たちと共に共同のデモを羽田で行った。中心メンバーの学生たちと「ベ反学連」というノンセクト学生集団をつくった。代表は私、五味。私以外のメンバーは流動的でいい、ということにして、組織名簿もつくらなかった。
68年1月米原潜エンプラ号闘争。ベトナム反戦のための6月行動。6・15日比谷野音はあふれ、1万人の集会・デモになった。
このような、ベトナム反戦・反安保のうねるような流れの中で、全国各地に小さな反戦の市民運動が次々生まれていく。私も大学キャンパスを中心にした学生運動だけでなく、「ベトナム反戦市民の声」という100名程の市民団体の一員となり、会報作成や発送などの実務をしていた。例えば、この会報が一つのミニコミである。
このように一つの市民運動ができ、それは同時に一つのミニコミが生まれることで、1967、8年はそういう年だった。もう一つの特徴は、自前・自立。それまでの社会運動・政治運動は政党・セクト・労働組合の中央からの指令ではじまるもの。一般市民・学生が参加するのは、どれかの旗の下にとなってしまう。そうではなく、自分たちでつくることができるようになった時でもあった。デモでも集会でもミニコミでもだ。
こんな話など、60年代からの全国のミニコミの話ができる「語り部」が大変少なくなっていることに気がついた。「人民新聞」以外でもこんな話を書かせてくれる所、話をさせてくれる集まり、ありませんか、連絡下さい。
さて最初の問「どんなミニコミがあったのか」─話せば、書けば長〜くなるので、ですから話せる集まり、書ける雑誌等呼んでほしいのですが、短く書けば、まとまった本を紹介する。
・『ミニコミ総目録』住民図書館編/1992年刊/平凡社
・『ミニコミの同時代史』全国ミニコミ一覧つき/丸山尚(住民図書館館長=当時)1985年刊/平凡社
・『模索舎に納品された自主出版物総目録』1970・10〜80・7/模索舎出版部
第二の問については、次回にでも。