[反貧困] 私はこうして生活保護受給者となった 貧困の実態から「労働と生活保障」を問うB
知的障がい 無銭飲食で刑務所へ
木宗行さん(仮名)は、現在55才。軽度の知的障がいがあり、08年12月に生活保護受給が決まった。九州・福岡出身で、生まれてすぐ脳性小児麻痺に罹り、中学校は特殊学級に通った。
中学卒業後、地元の木工工場に就職したが、職場仲間からバカにされ、嫌になって辞めた。その後、北九州にある住友金属の子会社で構内清掃員として3年間働いたが、愛する母親が死亡し、葬儀で帰省したまま、会社に戻る気がなくなり、自然退社となった。
飯場暮らしを始めたのは、20才の頃。博多駅で、若い男に声をかけられ、そのまま列車に乗せられ、北九州・黒崎の建設現場に。こうして、飯場を転々としながらの日雇い生活が始まったが、障がいもあって仕事も生活も極めて不安定。金がなくなると無銭飲食を繰り返し、前科11犯。合計12年余を刑務所で過ごした。(文責・編集部)
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北九州での飯場生活は、それほど悪いものではありませんでした。飯は食えるし、宿もあります。でも2週間後、仕事中に足に火傷を負い、働けなくなりました。
親方が、「姫路に行ってみないか」というので行ってみたら、これがケタ落ち飯場。日当が安く、飯場代を引かれるとほとんど残りません。態度も乱暴で、ヘルメットを投げつけられたので、その夜、飯場を逃げ出しました。
金もなく、行く当てもありません。姫路駅前の飲み屋で、初めて無銭飲食をしました。警察に連行されましたが、担当の刑事さんが親切で、説教されて釈放となり、「大阪の西成に行けば何とかなる」と、電車賃もくれました。
こうして釜ヶ崎での日雇い生活が始まりました。でも、仕事へ行ってもバカにされるし、母親が亡くなってからというもの、家族との繋がりも切れてしまい、「どうにでもなれ」という投げやりな気分でした。仕事で金が入ると酒を買い、なくなると無銭飲食。通報されて警察─刑務所という繰り返しとなりました。
無銭飲食で詐欺罪11犯、合計12年余刑務所暮らしです。判決も段々重くなり、最後の方は、3000〜4000円の無銭飲食で2年近くの実刑が科されていました。刑務所は自由がない代わりに、飯と宿の心配はしなくて済みます。