[反貧困] 私はこうして生活保護受給者となった 貧困の実態から「労働と生活保障」を問う
同性愛「隠す」重荷からパチンコ依存へ
依存症と生活保護には、深い関連がある。依存症が生活破壊を招き、生保受給へと至るからだ。したがって、依存症の治療抜きに生保からの離脱も極めて困難だ。
越田定郎さん(仮名・33歳/大阪市)は、パチンコのギャンブル依存症。昨年2月に生保を申請したが、ケースワーカーから同時に依存症治療を勧められた。自覚はしていたので、抵抗感なく治療を受け、自助グループにも通っている。(編集部)
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パチンコにハマっていくには、複雑な要因が絡まっています。まず第1に、私が同性愛者であることを、家族にも隠して生きるフラストレーションです。青年期を通じて、大きな心の重荷になっていました。
4年制大学を卒業後、地元のNPO法人で働き始めました。地域とのつながりも強く、兄も関連組織で活動していたので、人間関係のストレスはありませんでした。
当時の年収は300万円位、十分な給料ではありませんが、社会的にも意義のある仕事に満足していました。強い家族の繋がりがあり、週末になると、近くに住む兄弟・親戚が集まり会食をします。
そんな時よく話題になったのが、私の結婚話でした。30才近くになっても女性の気配がなかったからでしょう。同性愛者であることは家族にも隠していましたから、結婚話がとても苦痛で、そのうち週末は、家族を避けるように外出することが多くなりました。
パチンコは当初、単なる「時間つぶし」でしたが、負けが込んでくると、「負けを取り返したい」との一心で、ズルズルはまっていきました。
気がつくと、サラ金に200万円程の借金です。一度は、兄の支援もあって返済の目処を付けたのですが、その後もパチンコをやめられず、ついに法人の金に手を着けてしまいました。
これには、さすがの兄も庇いきれず、07年3月、退職。近所の目もあったので、地域にも居られず転居。日雇い派遣に登録して、1人暮らしを始めたのは、07年8月です。
日雇い派遣は、収入が極めて不安定です。月収は、4〜30万円、年収にして170〜180万円位です。切り詰めた生活の中で、フラストレーションが溜まるとパチンコ店に走ってしまい、さらに金がなくなる、という悪循環です。