[反貧困] どう考える?ベーシックインカム 生きづらさ支える社会的な「場」を
──大学非常勤教員/関西非正規等労働組合「ユニオンぼちぼち」副委員長 イダヒロユキ
依存症を抱える若者
「寝る場所がある、明日の食事の心配はいらない」という条件があって、初めて人は考えたり、他人を助けたりできます。安定した住居と食事がなければ、その確保に全力を使わざるを得ないので、それはとてもキツイ状態です。
だから生存権は、教育や医療と同じく、全ての人に無条件で保障されるべきです。生存権を保障する制度として生保やBIは必要ですが、問題は、その上で、「生きがい」や「居場所」をどう作るか。非正規労働者や野宿者、ウツ・引き籠もりの支援運動の大きな共通課題です。
私の経験の中で感じているのは、「依存症」の問題です。依存症はある種の病気なので、医者に行きますが、それで問題が解決するわけではありません。アルコール依存症なら、飲まない日を1日ずつ積み重ね続けるしかないのですが、苦しいことがあってつい飲んでしまうと、自己否定感に苛まれ、「死ぬしかない」という訴えになります。
依存症を抱える人が生活を立て直すのは、とても困難です。「どうすべきか?」との答えは持ち合わせていませんが、少なくとも「あれだけ言ったのにまた飲んだのか!」と怒り、突き放してみても、解決にはつながりません。
私は、自殺防止センターで電話相談員をやっています。同じ訴えを繰り返す人、泣き出す人、怒り出す人もいますが、私たちは、ひたすらその話に寄り添い、聞くだけです。それで命をなんとかつないでいるのです。
複雑な弱さを抱える若い人の依存症は、見えにくく、理解しにくいものです。家族から切り離され、学歴も職歴も金もなく、生きづらいという若者が、数多くいます。そうしたひとりひとりに向き合う試練を、私たちは、まだ乗り越えられていません。
だから、「生存権」や「働かない権利」という抽象的なスローガンでは一致している運動内部からも、「甘やかしているだけ」という、冷ややかな目を感じることがあります。運動内部での自己責任論の片鱗ではないでしょうか。
自己責任論で居場所は作れません。運動の中で人が変わり、解放され治癒されていくというイメージは語られますが、実際はうまくいっていないと思います。ただ、適度な距離を保ちながら、見捨てずに支援する、という模索を続けていくしかありません。