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▲義憲和さん
更新日:2010/06/22(火)

[社会] 捨て石にされた沖縄と奄美 機銃掃射と爆撃 占領中の飢餓時代を生きて

徳之島のおじい・義憲和さん 米軍占領時代を語る

今年80歳になる義憲和さんは、徳之島歴史民俗資料館長を退官後も、沖縄・奄美の歴史研究を続けている。義さん自身の敗戦・米軍支配、本土復帰の個人史を語ってもらった。義さんの個人史から、奄美の歴史が垣間見える。

奄美・徳之島は、時に無視され、時に日米両国家の取引材料にされてきた。江戸時代は、薩摩藩の植民地としてさとうきびを栽培し、薩摩藩財政立て直しの犠牲とされた。戦後もそれは、一貫した政策として、続いてきたことがわかる。(文責・編集部)

学徒動員と機銃掃射

戦争中は、日本軍が駐留し、小学生だった私も学徒動員で、竹槍訓練や伝令係に狩り出された。軍の食糧確保のために、畑も供出した。腹が減って、供出した畑の芋を食おうとしたら、母親にひどく怒られたことを覚えている。母親は律儀な人だった。元々自分の畑なのに、「軍に供出した以上、他人様のものを盗ってはいけない」と叱られた。

敗戦間近になると、グラマンの機銃掃射を受けたこともあるし、私の家は爆撃された。

占領時代-若者は沖縄へ

14歳で敗戦を迎えた。すぐに米軍がやってきて、軍政を敷いた。といっても、ジープに乗る米兵を見たのは一度だけだ。「こいつらに負けたのか」と思うと、悔しかった。村の長が米軍の指令に基づき、改革を進めたようだが、内容は、ちんぷんかんぷんだった。

近所の若者は、男も女も沖縄に出稼ぎに行った。米軍関係の仕事に就くためだ。男は、基地造成のための土方仕事、女は、米兵と結婚して米国に渡った人もたくさんいる。

私は、兄と父親が病弱だったので、徳之島に残ることになった。国民学校しか出ていないし、漢字も読めなかったが、電報の配達員として働くことになった。カタカナは何とか読めたからだ。といっても、米1升も買えない程の安月給で、米軍の放出物資に頼り、芋の蔓やソテツ粥を啜る毎日だった。

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