[コラム] 五味正彦/「模索舎」の今昔
自分たちの力だけで新しい事業へ
3月22日、模索舎のイベントで、また3月7日と4月4日には、みじんこ洞(東京・高円寺)でも、ちょっとした話をした。いずれのイベントも、今年10月、ミニコミ書店・模索舎が40周年になるということで開かれたもの。
そこで僕は、模索舎はどのように作られたのか、とか当時の社会状況やミニコミのことを話した。本紙2月25日号と09年12月15日号で、模索舎ができた時のことを書いたが、そことダブらずにイベントで話したことを少々書いてみる。
設立メンバーは約50名、その時24才だった僕より年上は、3名しかいなかった。2名は、数才年上の活動仲間。もう1人は、30才は超えていた60年安保世代(僕らは70年安保世代ということになる)の飲み友達。既に非政治的な人だった。
この人を例外として、25才より上の人には、声をかけない、 金も出してもらわない、という暗黙のルールがあった。理由の一つは、政治的介入・セクト的介入を心配したこと。もう一つは、当時若者だった自分たちだけの力で新しい事業にチャレンジしたい、という思いがあったからだ。
例えば、シコシコ・模索舎と前後して浦和ベ平連(埼玉ベ平連か?小沢遼子が中心)がつくった、スナックシタデルのために、彼女たちは神楽坂のベ平連事務所に来て、小田実(代表)や吉川勇一(事務局長)たちから、カンパ(出資金?)を出してもらっていたのを見た。模索舎についても、当然彼らは協力してくれたはずだ。しかし、当時の僕らは頼まなかった。ベ平連といえども、政治的介入や、マスコミにベ平連系と書かれるのが嫌だったからだ。これは、模索舎を作った時の裏話のひとつ。10月までには、また40周年イベントがあるだろうから、その時には、別の裏話もいくつか、話すつもりだ。
さて、イベントには昔のメンバーとして参加したが、僕は現在の模索舎の運営等には全くタッチしていない。ということを前提として、最新の模索舎情報。
「…しかしながら現在、模索舎の経営は逼迫しております。40周年に当たる今年の10月に果たして存続できるか…」と、経済的な苦しさを、前述3月22日のイベントで公表し、カンパを呼びかけていた。もう1点。「…4月より『合同会社 模索舎』として再出発することになりました。…社員一同」と『模索舎月報』3月号に告示があった。どんな経緯で法人化するのかは知らない。
『TOKYOなんとか』
模索舎のイベント会場で手にした『TOKYOなんとか』という月間フリーペーパーは、すばらしいミニコミだ。『東京にある勝手な奴らの店の総合情報誌です』とある。模索舎のほか、素人の乱(高円寺)、激烈交流スペースあかね(早稲田)、あといくつかの面白い店が、共同で作っているそうだ。それぞれの店に行くと無料で手に入る。これを片手に東京散歩をおすすめする。(敬称略)