[投書] 言わせて聞いて第1374号
何をコントロールすべきか?●徳永基二
「人民新聞」1373号(3月5日付)に載っていた、春日匠氏の「大きな政府」と「小さな政府」という視点に疑問を感じます。もともとこれは、ミルトン・フリードマンらシカゴ学派の視点でサッチャーや、アメリカ共和党が好んで使うキャッチフレーズです。「社会フォーラム」に集う者たちが、何故同じような観点からものを見なければならないのでしょうか?
もともと、アナキスト系などの左派のグループは、「国家」という神権のない社会を目指していたという点で、「小さな政府」論者でした。その視点と、所得の大胆な再分配とが矛盾するなどとは、毛ほども思っていなかった。
国境線を越えた多様な者たちの連帯を実現するためには、資産に対する課税と基礎所得政策を必要とする。これらの事柄と市場モデルは矛盾しないばかりか、市場モデルが適切に働く前提条件であると思っていた。
こういった論理は、第三の道(新たな公共性浮上を政府が下支えする)や、政権から自立的な市民運動、ネオコーポラティズム(企業経営やら産業政策やらに被雇用者側の福利の視点を導入するという意味での)、ベーシックインカムなどといった今日的視点の中まで、脈々と生きている。
ここで問題となっているのは、何を意識下の前提とみなし、何を問題にすべきものとして白日に晒すかでしょう。
資本主義者にとっては、「資本を如何にして集積するか」が問題なので、私的所有ということをうるさく言い、それに対する介入を全て「国家介入」として批判する。
一方、我々が問題にしているのは、個人(自然人)の自由な社会生活の可能性であって、これに対する暴力的介入を「権力」と呼んでいるわけです。
このように、「大きな政府/小さな政府」と言う場合には、それと対になっている “自然な”場が何であり、何がコントロールすべき対象なのか、それを踏まえた上でないと議論できないと思います。
私の紙面批評●東京・S
外国人労働者の問題は、これまであまりクローズアップされてこなかった。そのあまりに劣悪な状況もあって、非常に重大な問題になっている、と思う。
裁判で刑務所・検察のデッチ上げ次々明らかに●新潟刑・小野寺一心
昨年8月、私の満期日に新潟刑務所職員らより暴力事件をデッチ上げられ、逮捕されました。現在は裁判中ですが、現状をお知らせします。
事件当日、私が職員らより恫喝等を受け始めた時間は午後1時頃からですが、裁判所に提出した文書には、「2時40〜50分頃」とあり、偽証した証拠が裁判所に提出されました。検察側は、同日、証拠請求を撤回しました。
聞くところによると、未だに「公務執行妨害」の立件はあきらめていないようです。
また私の身長(162センチ)を、168センチあるように虚偽の文書を提出しており、これも今年1月29日裁判の際、事実が証明されました。
つまり、新潟刑務所は、「虚偽告訴等、虚偽公文書作成等、虚偽公文書行使等、証拠隠滅等、偽証、特別公務員暴行陵虐、暴行、傷害」を組織的に行ったのです。
私は、不法行為をおこなった職員・所長の罷免を強く求めています。