[コラム] 栗田隆子/土建・不動産屋視点の住宅政策
日本における「家の」考え方、そして政策
7年ほど東京に住んでいたが、近隣する郊外の街へ引っ越すこととなった。今日は、そのいきさつについて、お話したい。話は、「女性と貧困ネットワーク」の1周年集会の時に、ある女性が下記のように話しかけてきたところから始まる。
「来年、私の家が空き家になる。貧困に陥った女性の支えとして、この家を使用することはできないかしら?」。
ずっと働いてきたお金で、みずから購入した一戸建てに、その女性とその家族は長年暮らしてきた。ところが、ご両親が介護を必要とする状況となり、家族と一緒にご両親と同居することになったという。
しかし、そうすると問題なのは、ずっと住んでいた家が「空き家」となってしまうこと。家を売るのも貸すのも、そのままでは難しい。リフォームをするのも相応の費用が要る。それならば、いっそ固定資産税分(それは家賃にすればおそろしく低額ではある)を払ってもらえるような人に家を貸し出し、女性たちの経済的な支えとして機能するような住居になればいいのだが…というお話であった。
多少の紆余曲折の末、私自身が引越すことになった。不動産屋を通さず、オーナーさんと相談しながら契約を結び、この家の運営を、オーナーの女性や賛同者の方と共に担おう、という話につながった。その過程で、改めて考えてしまったのは、この日本における「家」の考え方、そして政策である。
「核家族のマイホーム」─これこそが戦後の憧れであり、標準世帯としてのイメージであった。他方で、日本における住宅政策の管轄は、旧建設省(現在の国土交通省)であり、基本的にやはり経済視点、露骨に言えば、「土建屋と不動産屋視点」であったといえるのではないか。
日本人は、生涯に平均1.5件の家を購入する、といわれているが、日本の家屋はせいぜい30〜40年しかもたない。「家屋の世代継承が難しい」ということは、逆に、次世代も必ず「家を買うこと」を命題とした住宅政策だったともいえる。
ましてや「同じ借家にずっと住む」などという人間像はありえず、学生や未婚の男女が借家人ということとなれば、当然、借家の回転率が早くなり、儲かるのは不動産屋。また、結婚したり、ある程度職が安定した人たちが、家をどんどん建ててゆけば、土建屋さんが儲かるという仕組み。
家はあくまで「財」であり、そこで人が生まれ、住まい、病み、老い…という視点で作ったものではなかったのだ。住宅地という場所は基本的に、働いている人が「寝に帰る」ために作ったものであることを、その家の周囲の急な坂道を歩き回りながら考えた(そして働いている人をケアするための人間―ほとんどは「主婦」と呼ばれる立場―が家のメンテナンスをする)。そしてこの坂道は、人が「歩く」ためというよりも、車のための道としてイメージされているのだろう。
ちなみにこの家は、ペパーミントの外壁と、こぢんまりとした庭、吹き抜けの天井のある台所に、出窓、きれいな居間まであり、少女マンガに出てくる家のよう。思わず「乙女ハウスだ」とつぶやいたところ、これがそのまま、その家の愛称となってしまった。乙女からはずいぶんと外れた人間が、自称乙女として、 my home ではない others home に住むのだ。「ずっと住むつもりだった」と話す彼女の言葉を、私は忘れられない。
私はこれから車ではなく坂道をてくてくと歩き、朝から庭いじりなどしながら、仕事にはあまり行かず(!?)、住んだり、病んだり、泣いたり、笑ったりしながら生きていくだろう。そして老いるということ、ケアするということに一歩向き合いながら、いろいろな人とこの家で関わることができればと思う。東京でやるよりも数段目立つこの行為、さて吉と出るか、凶と出るか。