[海外] 韓国/完全撤去されたヘリ基地 春川市の変化に希望を見た
──西宮市・井上淳
米軍基地からの解放
日本軍「慰安婦」被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会の井上淳さんが、訪韓。基地を撤去した街=春川(チュンチョン)を訪れた。春川市は、「冬のソナタ」のロケ地として有名で、日本人観光客が急増しているという。一方、同市は軍事境界線に近く、米軍のヘリコプター基地があった。同基地の機能・様子は、普天間基地を彷彿とさせる。(編集部)
米軍基地撤去の現場
昨年11月の後半、私は韓国北部の「春川」の町で、「太平洋戦争韓国人犠牲者納骨堂」での慰霊祭に参加した。アジア・太平洋戦争中の、幼い少女たちに対する強制連行・強制労働を問う「不二越訴訟」の取り組みの中で、お世話になってきた縁によるものだ。毎年日本の支援組織から十数名が訪韓し、「日韓合同の慰霊祭」として開催されている。
さてこの春川は、38度線に近い町だ。朝鮮戦争では両軍が、戦争の情勢に応じて北へ南へと往き来した。言わば軍隊によって常に蹂躙されてきた「悲劇の町」でもある。
本題に入ろう。この町の中心部には、北部から流れ出て、ソウルに至る韓国の大河「漢江」の支流が流れている。流れに沿う町の中心には、広大な軍事基地・米軍ヘリコプター基地があった。基地の地下壕には戦術核が密かに配備され、ヘリコプターと兵士たちは常に「間近の敵」、北を向いて臨戦態勢にあった。
繁華街にある高級レストランでは、幾組もの米軍人家族が陣取り、大騒ぎの食事。基地の近くの坂道は、公道だというのに米軍子弟たちが、我が物顔で奇声を発しながらローラースケートに興じていたという。この当時の春川は、現在の基地に囲まれた沖縄の街々と、そっくり同じだったのだろう。
この米軍基地が撤去された。米軍再編計画によって大半の機動部隊が韓国北部の基地から撤退し、南の平沢などに集約されたためだ。
この元米軍跡地を訪問したが、ビックリさせられた。財政難で再開発は遅れ気味と聞いていたが、かつて米軍兵士が銃を構えていた正門玄関が取っ払われ、大きな直線道路が南北に貫徹していた。
道路を挟んだ片側では、住宅や企業の建物の建設が始まり、もう片一方では、滑走路のアスファルト剥ぎ取りのため、トレーラーがうなりを上げていた。
両方の白く高い塀には、見学用の観察窓が設置され、工事の進行状況を見ることができる。そして塀には、かつての軍基地の写真が、再開発の予定と共に展示されていた。
そこには朝鮮戦争後50余年強制されていた米軍基地を撤去した春川の人々の喜びと誇りを感じた。基地の重圧とはそういうものなのだろう。
春川では、米軍基地の撤去に伴い、大胆な都市再開発が開始されている。ソウルから観光客だけでなく米軍物資を運んでいたソウル・春川線は複線化工事が始まり、米軍基地に囲まれていた春川駅は駅そのものが廃止され、南春川駅に一元化された。