[政治] 現地報告 沖縄・名護市長選 白熱の選挙戦 薄氷踏む基地反対派の勝利
──名護市・稲垣 絹代
早過ぎた当確
名護市長選投・開票日午後8時、ラジオを聴きながら仕事をしていた。「今、名護市長戦の投票が締め切られました」―アナウンサーの興奮気味な声に続いて、「稲嶺進氏の当選確実が出ました」と、あまりに早い勝利の報せだった。琉球放送の分析では、記録的な期日前投票は、島袋氏が6対4で有利、当日の出口調査は、逆に稲嶺候補が6対4で有利。最終的には約5000票差で稲嶺勝利の当確だった。
事前の予想では、最後まで予断を許さない熾烈きわまる接戦だったので、早々の当確には不思議な気がした。案の定、翌朝には、1588票差という薄氷を踏む勝利だったことがわかった。
しかし、この勝利は大きい。ここで負ければ、今の民主党の姿勢では、二度と辺野古移設を阻止するチャンスは来ないからである。
昨年5月、辺野古基地建設に反対する座り込みテントを訪問したとき、「いい市長選候補者が見つからない」と聞いた。同じ頃、名護の女性メンバーで月1回集まる会で、亡くなった元市長の奥さんである岸本能子さんと親しく話をする機会があった。その席でも、市長選の話になった。長年県外で生活し、数年前に名護に帰ってきたという女性が、「名護市長は、国の偉い人と対等に話ができる人でないと務まらないのよ。元教育長だった人が出るらしいけど、大丈夫かしら」と、不安げに話していた。
一方、敗北した前市長=島袋吉和氏とは、昨年6月に、公民館の朝市で名刺交換した。私のように、仕事で名護に住みついた者でも、このように市長と直接対話する機会があるほど、せまい田舎の土地なのである。
元市長夫人の強烈メッセージ
昨年5月の環境アセス評価に対する反対派の意見書提出、8月の衆議員選挙での民主党の圧勝、11月の県民大会の盛り上がりはあったが、市長選の準備は前進しているのか? 気にかかっていた。しかし、11月になって、基地反対派候補は、共産党系候補との選挙協定が成立し、候補者が稲嶺氏に1本化できた。このニュースを新聞で見たとき、初めて「勝てるのではないか」と思った。
11月末になると、本格的な選挙戦が始まった。チラシが郵便受けに入り始め、稲嶺氏のチラシも週1の割ぐらいで入り始めた。同時に行なわれる市議選の補欠選挙も、島袋陣営からと稲嶺陣営から候補が立っていた。(島袋派が勝利)
両陣営の決起集会は、島袋陣営3000人、稲嶺陣営2000人。有権者数4万5千人余からすれば、すごい参加者数である。私は、誘われて稲嶺後援会女性部会の集会に参加した。以前、稲嶺さんを「大丈夫かしら」と評していた女性は、「大きな声で張り切って演説して下さいよ! と、稲嶺さんを激励したんですよ」と笑いながら話し、積極的に応援団として活動している様子が伺えた。
この集会でも、元市長未亡人の岸本能子さんが壇上に立ち、「(沖縄は)国の基地政策に翻弄されてきた。基地をなくすのが建男(前市長)の長年の夢だったが、基地移設問題が夫の命を縮めた。日本も米国も変わった。名護も変われる。今回の選挙で、基地問題から夫の苦悩を解放させてやりたい」という強烈なメッセージがあった。
この人の影響力は大きかった。名護市で活躍されている女性の代表格で、息子も名護市議である。この時点で、名護市議26名中、14名が稲嶺氏支持を表明。市議も2分していたのである。