[コラム] 楠敏雄/試されているのは我々の政策力・企画力
「障害者自立支援法」の廃止に向けて
2009年10月30日、新政権の長妻厚生労働大臣が、1万人近い障がい者やその家族・支援者らを前にして、正式に「障害者自立支援法」の廃止の方針を明言した。2005年に小泉政権下で財政削減策の一環として出された「改革のグランドデザイン」以降、多くの障がい者団体が批判してきた「応益負担」が、ようやく見直されることとなった。
しかしながら、この悪名高い自立支援法も元を質せば、1990年代後半に出された「福祉の基礎構造改革」にその端緒を見出すことができる。さらにそれは、2000年に成立した「介護保険法」と対を成す政策にほかならない。
すなわち、「措置から契約へ」への制度移行によって、利用者負担の原理に根拠を与えることとなり、私自身も含めほとんどの障がい者団体がそうした当然の帰結を見抜けず、見過ごしてきたことは否めない。
とりわけ今我々が論ずべきことは、2003年の「支援費制度」に対する的確な評価である。すなわち、この制度で強調された「個々の障がい者のニーズに応じたサービス提供」といううたい文句に、私も多くの仲間たちも多大な幻想を抱いたことは確かだった。当時の厚労省障害保健福祉部長の塩田氏は、「こんなにニーズが伸びることは予想しなかった」などと白々しい言い訳を繰り返していたが、今から思うと、あの支援費制度が実は「大きな甘い罠」だったように思えてならない。
さて、すでに周知のように、現在の政権与党の民主党はこの介護保険制度の導入に関しては自民公明以上に積極的だったし、この姿勢は現在も変わっていないように思う。もちろん、現政権の誕生に多少なりとも協力した私としては、民主党の福祉政策に否定的な評価を行うつもりはないし、そんな力量も持ち合わせてはいない。
しかしながら、この間の「契約制度」を基礎とした一連の政策が、市場原理主義と全く無縁な方向だ─とも、どうしても思えないのである。
今さら言うまでもなく、私は「脱官僚」や「天下り」を批判してきた民主党政権を基本的には支持している。たとえ一部現政権が一部の官僚の力を借りたからといって、それを「マニフェスト違反だ」などとがなりたてるつもりもない。
それにしても、最近の政権内におけるあからさまな混乱は、やはり耳を覆いたくなってしまう。これも情報公開の原則の一環かもしれないし、策士の小沢氏のことだから、もっと深い「戦略的意図」を考えているのかもしれない。
そうした様々な条件を差し引いて評価しても、やはり沖縄の基地問題に対する党幹部の姿勢は、私としてはとうてい容認できない。「やっぱりなあ」とも思いつつ、アメリカ一辺倒の自民党政治とどこが違うのか?と思って、強い不審や憤りを抑えがたいのは私一人ではあるまい。「アメリカ政府にも言うべきことはきちんと言う」─選挙期間中、民主党の候補のほとんどがあんなに明確に言い切っていたではないか。
もちろん外交交渉とは相手のあることだから、それほど容易なものではないことは予想できる。しかし、そうした困難な要因を勘案しても、やはり党幹部の発言には明確な理念や主体性が感じられない。