[政治] 選挙くらいで現実は変わらない
──園良太(フリーター全般労組)
観客でしかない有権者
政権交代によって「変化」が強調されていますが、有権者は政治を「自分が変えた」と思っているのでしょうか。事業仕分けにしても、有権者は観客です。
みんなが「変わった」と思っているなら、楽だったからというのもあると思います。投票だけをして、後は流れに任せて、それで変化したように思いたい。
私たちフリーター全般労組(F労)は、足元から問題を追及する行動をやってきましたし、私個人も問題のある政府に対しては「ないかくだとう」を打ち出す集まりに参加し、行動してきました。そこでは政権が変わる直前にも「戦争・貧困・民主主義」というテーマで集会を行い、「民主党になっても問題は残り続ける」と訴えてきました。
日々、新たな課題を発見し、どう変えていくのか?という試行錯誤が必要であることは、今も変わっていないし、不安定な労働や生きづらさは、より厳しくなっています。給料未払い・不当解雇・長時間労働で相談に来る人は増え続けています。派遣切りやそれによって住居を奪われていく現実は、何も変わっていないのです。
模索期に入ったプレカリアートの運動
ところが、課題を告発し広げ続ける切迫感やエネルギーは、政権交代によって弱まっているように思えます。今、プレカリアートの運動は模索期に入っていると思います。
メディアや世間が「変化」を言うほど、逆に問題が見えなくなっていく状態です。
湯浅さんらが政権の中に入ったことで、「ワンストップ・サービス」や路上死を防ぐために役所を動かしたりという成果は、出ています。しかし、運動の成果を政権が吸収していく構造になるのは良くないです。
一昨年の「年越し派遣村」の時には、多くの政治家が慌てて日比谷公園に来ました。だから、「本来は戦略会議の菅直人が反貧困ネットワークの会議に来ればいい」と言っていた人がいて、その通りだと。主役は運動です。日本はシステマティックな国なので、政権の中に入っていけば組み込まれますし、個々の足場の運動が何をテーマに運動を組み立てていいのかが見えづらくなっているという閉塞感があります。
個々の運動体は、民主党政権に問題解決を迫る行動を続けるべきだし、やっていると思いますが、「年越し派遣村」のように、大きな切り口で政権も無視できないような象徴的な行動をしないと、民主党の政治劇場に流されていくことを心配しています。また「京品ホテル」や「サウナ王城」のように、政権など関係なく自分たちで自主生産・自主管理をやってしまう行動と発想が、今まで以上に大事になるでしょう。