[コラム] 大今歩/「有事の脅威」鵜呑みした「国民」
記憶から遠ざけてはならないこと
2009年も残すところ1ヵ月余りであるが、振り返ってみて、日本社会に絶望するに余りある出来事が2つあった。
まず、4月の北朝鮮の「ミサイル発射」に対する政府の対応、マスコミの報道および国民の反応である。マスコミは、北朝鮮が3月12日に発射日程を国際海事機関に通告して以来約1ケ月にわたって、「臨戦態勢」などと大見出しの記事を連発した(『世界』2009年6月号『メディア批評』神保太郎)。
そして「ミサイル発射」が迫った3月27日、政府は発射失敗に伴う落下物に対して、初のミサイル迎撃(MD)兵器による破壊命令を発した。しかし、鴻池祥肇元官房副長官が「ピストルの弾をピストルで撃ち落とせるはずがない」と述べたように、正常に軌道に乗ったミサイルでも、命中する可能性は極めて低い。まして、落下物を撃ち落とせるとは考えられず、むしろMD兵器の落下先の方が心配である(山口正紀、「週刊金曜日」4月17日号)。
このように、MD兵器による破壊命令は、実効性のない、単なる北朝鮮に対する威嚇でしかなかったが、マスコミは、まるで日本攻撃のため「ミサイル」が発射されるかのような報道を繰り返した。
そして、このような報道を鵜呑みにして、国民は「避難」した。例えば、「発射」の報道が流れた4月4日、MD兵器が配備されている秋田市の勝平小学校の運動場に集まっていた勝平野球スポーツ少年団の児童約20人は、NHKニュースを聞いた親が「避難しなさい」と指示したため、200m離れた体育館に向かって一斉に走りだした。誤報だとわかり運動場に戻ったが、少年団の監督は「何もなくてよかった。今日は避難したり戻ったりを繰り返すのでしょうか」と話していたという(4月5日付「朝日」)。
第2に、「新型(豚)インフルエンザ」をめぐる動きである。5月1日、新型インフルエンザ対策本部(本部長 麻生前首相)は、国内で患者が発生した場合の措置として、不要不急の外出自粛や学校の臨時休業などを挙げた(5月1日付「読売」夕刊)。その後、各紙は一面トップで、感染者の拡大を連日報道した。
そして兵庫や大阪で感染者が相次ぐと、5月18日には兵庫県・大阪府の全公立学校で休校措置がとられた。修学旅行などの取りやめが相次ぎ、5月21日の時点で、近畿2府4県で宿泊キャンセルは36万人に及んだ(「朝日」5月22日付)。また、外出時のマスク着用を繰り返し呼びかけたため、実際には感染予防にはほとんど役に立たないのに、マスク着用しないで出勤すると「大丈夫ですか?」などと周囲から声を掛けられるなど、大変居心地が悪かった。
ところが5月22日、政府は「季節性インフルエンザと類似する点が多い」として、外出や集会、スポーツ大会など自粛要請を行わない他、新たに感染が確認されれば学校や学級単位の閉鎖で対応する方針に転換した。生活や経済の影響を最小限に抑えることに主眼をおいた対応に変えたのである(「毎日」5月22日付夕刊)。
その後、感染は急激に拡大し、死者も相次いだが、マスコミの報道は激減し、国民は何事もなかったかのように「日常生活」を取り戻した。しかし、安全性に疑いがあるため10代には投与しないことを原則としていたのに、事実上解禁してしまったタミフル投与は正しかったか?新型インフルエンザのワクチンの安全性は確保できているのか?などの検討は欠いたままである。
有事に取り込まれない私を
二つの出来事に共通しているのは、@政府が「有事の脅威」を煽る。Aマスコミがそれを無批判に報道して「有事の脅威」を増幅する。B国民は「有事の脅威」を鵜呑みにして有事に備えた訓練を繰り返し行った─ことである。そして有事は、「ミサイル」は北朝鮮から、インフルエンザは海外からというような「外敵」によってもたらされるという排外主義が、国民に刷り込まれた。これらのことは、有事に国民は疑いもなく積極的に参加することを示している。
まことに残念かつ困難な状況が現れているが、私たちは政府の方針やマスコミが垂れ流す情報に常に疑いをもって検証するとともに、人々にその検証した事実を伝えていきたい。