[情報]朝鮮人労働者3千人の動員と現存する「飯場」確認の衝撃
──西宮市・井上淳
「柳本飛行場跡」のフィールドワークに参加して
前日の大雨がウソのように晴れ上がり、残暑を通り越した暑さの中、どうにか天理市にたどり着くと、案内役の藤原さんと5人の地元ボランティアの方々に出迎えられ、5台の車に分乗して天理・柳本飛行場跡の探険に出発した。この企画は、8月16日大阪で開催された「戦争と平和を語る集い」を実証する形で開催されたものである。
たびたび奈良の各地を放浪した経験を持つ私だが、天理・柳本に3000人もの朝鮮人労働者を動員した飛行場が建設され、そのために朝鮮人女性を「慰安婦」として強制連行し、しかも敗戦時、軍部の証拠隠滅行為によって遺棄されたはずの慰安所跡が、身近な天理に確認できるなど思いもよらないことで、まさに「新しい発見」となった。
さて、奈良・天理の山間に1944年9月より、「本土決戦」に備え建設されたこの柳本飛行場は、「日本海軍航空隊」の飛行場として着工された。
なぜ日本海軍が奈良の山奥で飛行場を作るのか。それは、あのきらびやかな「宝塚劇場」が、海軍作戦基地として転用されたという異常な事実と同じことなのだろう。
それは、ヒロシマ原爆より1年以上も前に敗勢を熟知していた日本軍部の、尋常ならぬ自己保身の行為である。特攻に動員され、命を失った若者や、学徒動員生など一般の庶民には、一片の真実も知らされず、悲劇的な加害と犠牲が、積み重ねられたのである。
名簿や遺骨・遺品も失われ
フィールドワークはまず、曲がりくねった道を、たわわに実る柿畑の中に入り、赤とんぼの飛び交う貯水池を背に、藤原さんの歴史的経過と注意事項をお聞きすることから始まった。
夏の緑濃い木々が茂る山裾にある、わずかに開いた「穴」は、砂が崩れ、狭く、背をかがめ、腹ばいとなって入る。真っ暗な全長210bのトンネルは、部品や機材保管のためのものだが、未完成で、荒い岩肌に触れ、少し力を入れるだけでボロボロと崩れる。他にもたくさんのトンネルが掘られたというが、大半が崩れ落ちて、入ることはできないという。
このトンネルの切削で亡くなった朝鮮人労働者がおられるそうだが、飛行場建設に関わった3000人の朝鮮人労働者の名簿も、破棄されて不明。お亡くなりになった人の遺骨や遺品もないという。
藤原さんによると、このトンネルを訪れたお坊さんが、名状しがたい霊気を感じ、祈りを捧げられたという。
トンネルを出て、天理厚生年金会館横に設置された柳本飛行場の案内版前で、「慰安婦」とされた朝鮮人女性の証言などが紹介された。数年前には、韓国の「日帝強占下真相究明委員会」スタッフが来日し、慰安所にいた女性の遺骨を調査して帰ったそうだ。
その後、田んぼの中の道路を行くと、急に車が止まった。飛行場・滑走路の跡地だ。
1500メートルの滑走路と横風用滑走路、2本が作られた。滑走路跡といっても、セメントかアスファルトか区別もつかない石状なもの。「資材のない昔は、これが滑走路だったのか」と納得する。