[コラム]深見史/早急に民法改正を!
新政権に期待する
「別姓導入は家族の一体感を損ない、子供に与える精神的弊害ははかりしれず、また事実婚を増加させ、離婚の増加や結婚制度の破壊をもたらすおそれが多分にあります。また、高齢化社会を迎える現代、国は在宅介護の老人福祉プランを計画していますが、その基本となるべき親族に扶養意識が薄れることも懸念されます。さらに別姓世代が続けば家系は確実に混乱し、祖先の祭祀、お墓維持の軽視をもたらすことも考えられます」──これは12年前の1997年、愛媛県松山市議会で採択された請願である。
「夫婦別姓」「再婚禁止期間の短縮」「婚外子差別の撤廃」を織り込んだ民法改正要綱が法政審議会の審議を終え、法務大臣に答申されたのは1996年2月だ。これに対して、「日本を守る国民会議」が「家庭を崩壊させる夫婦別姓法案反対」意見書採択要請運動を全国的に展開した。その結果、先の松山市議会含め257議会でこうした内容の意見書が採択された。以来、国会に何度も改正案が提出されたが、いずれも廃案に追い込まれてきた。
上記の12年前の決議が極めて正直に、「女は男系維持の道具であり、男系の墓守であり、介護労働の担い手である」と語っているのは、今となればむしろ微笑ましいほど無邪気に思える。
「日本を守る国民会議」の「夫婦の絆を固める厳粛な通過儀礼である婚姻改姓を経ない別姓夫婦にとって、結婚は単なる男女の野合に近くなります。それは事実婚の流行、離婚による母子家庭の急増、性道徳の退廃から、やがて結婚制度それ自体の崩壊へと進んでしまいます」(同会・当時のちらし)という主張は私の大のお気に入りだ。特に「厳粛な通過儀礼である婚姻改姓を経ない別姓夫婦にとって結婚は単なる男女の野合」というフレーズには、よく言ってくれた、国民会議さん!と拍手を送りたいほどだ。「単なる野合」は、男女関係にいやらしい損得勘定を含まない健全さをみごとに表現している。すばらしい!
婚姻改姓という「通過儀礼」がなければ結婚は維持できないことを白状したこの発言は、女の子宮を男系家系が占有することの難しさをよく理解しているがための「オヤゴコロ」からの心配なのだった。しかし、その心配は全くの杞憂だったことがこの13年間で明らかになった。心配しなくていいんだよ、国民会議さん。別姓の法制化がなくても「事実婚の流行、離婚の増加」は進行したのだから。
逆に、現民法を維持することが限界にきていることが大衆の目にも明らかになってきた。社会問題化した再婚禁止期間、国際的批判を受けている非嫡出子差別は、すでに完全に時代遅れだ。13年前の思わず微笑んでしまうほど愚かしい論を繰り返す輩はもう絶滅したと期待したい。
民法改正は、ほんの始まりでしかないことは言うまでもない。人と人との自由な関係を実現するための下ごしらえとして、法の枷は取り払うべき、という程度の意味しかない。「国民会議」が怖れている「家族(=国家)の崩壊」が自動的に訪れるわけではない。残念ながら。
それこそが私たちの仕事。「通過儀礼」を消し去り、墓守りで人生を無駄にすることを永遠に封じ込めることが私たちの仕事だ。「コンカツ」ではなく「野合」をこそ流行させよう!