更新日:2009/10/12(月)
[社会]遥矢当/死を受け止められない社会は疑問
人の死に直面して
「人が死ぬのを見て、怖くなったんです」―彼女はその一言とともに、退職届を差し出した。ボーナスが支給される夏は、どの介護施設も退職者が出る時期だ。私の施設からは1名、この女性介護スタッフが退職することになった。
私は、彼女の退職理由を聞いて驚いた。確かに介護の仕事は、死を恐れながらでないと勤まらないが、彼女の唐突な話を聞いて、私も反省すべきところがあると思った。
彼女はまだ20代前半で、フリーターからヘルパーの資格を得て介護業界に飛び込んできた。彼女が配属されたフロアには、ターミナルケア(終末期介護)を実施してきた80歳代後半の男性利用者が入居していて、今年5月に穏やかに看取ることができた。その直前にも、90歳代前半の女性利用者の様態が急変して搬送先の病院で亡くなるなど、フロア内で逝去が続いていた。
死を迎える高齢者を看取るのはなかなか出来ることではない。フロアには経験に乏しいスタッフが多かったが、この男性を看取った時は、一つ大きな仕事をやり遂げたという意味で、私は介護スタッフをねぎらった。彼女も女性利用者が急変した際には救急車に同乗するなど、頑張っていた。彼女の貢献は大きかったので、退職が唐突に思えたのだ。
「もう介護の仕事はこりごりです」―彼女は付け加えた。私としては、彼女が今回の看取りで技術的だけではなく、精神的にも成長できると思っていた。
私自身も含めて、核家族で育った世代というのは日常から「死」に直面する機会に乏しい。聞けば彼女も核家族で生まれ育っていた。彼女は私に「人が死ぬ時にどう対応すればいいか、気持ちをどう受け止めればいいかを教えてくれる人がいませんでした」と続けた。私は日頃見落としがちなスタッフの本心を改めて知った。
続きは本紙 【月3回発行】 にて。購読方法はこちらです。