[海外]ホンジュラス/ホンジュラスクーデターに米・ペンタゴンが関与?!
──7月2日付「レベリオン」 エバ・ゴリンゲルより
はじめに
日本でも報道されているとおり、6月28日未明、中米ホンジュラスでクーデターが起こった。この経緯について一般には、セラヤ大統領が、再選の道を開く憲法改正に関する国民投票を行おうとしたところ、それを憲法違反として反対していた軍が強硬手段に出た、との説明がなされている。セラヤが反米左派のベネズエラ大統領チャベスに接近し、労働者の最低賃金を60%以上引き上げるなど、急激に「左傾化」したことで、政界・財界を掌握するエリート層の反感を煽り、軍が動いたという。ミチェレッティ国会議長が「暫定大統領」として就任したが、この「暫定政権」に対して、国連総会や米州機構をはじめ、国際社会から強い非難の声が上がった。国内での抗議活動も活発化し、暫定政権は内外ともに孤立を深めている。
こうした分析の中で、対中南米政治の「地殻変動」としてオバマ米政権を評価する報道もみられる。しかし米国は、中南米のクーデターを陰に陽に支えてきた。02年、ベネズエラで軍がチャベスを一時的に失脚させたときも、ブッシュ元大統領は政権交代に肯定的だった。この米国が、今回の事態に関してはチャベスと声を揃えてはっきりと批判し、左派政権であっても、民主主義的な手続きによる代表を支持する立場を明確にしたのだ、という。突然のクーデターに対しても機敏に対応し、一貫して民主主義を擁護するオバマ…。本当にそうだろうか?
「ソト・カノ基地」と軍事援助
6月28日(日)未明、ホンジュラス・テグシガルパの大統領公邸にて、大統領マヌエル・セラヤ氏が、覆面をした軍部によって強制的に拘束・拉致された。
軍は彼をテグシガルパ郊外のエルナン・アコスタ・メヒーア軍基地に連行。セラヤ大統領は、しばらく基地にとどめられた後、大統領専用機にてコスタリカに移送された。ホンジュラスにおいて乱暴なクーデターが進展している間、セラヤ氏はその国に滞在することとなった。テグシガルパに駐在する米軍と、米国大使館のワシントン代表者らは、このクーデターの一部始終をくまなく熟知していたのである。
米国は、首都テグシガルパから97qに位置するソト・カノに軍基地を構えている。1981年以来、つまりロナルド・レーガン政権期の米政府が配置して以来、現在まで運営されてきた場所だ。80年代、ソト・カノは、米オリバー・ノース中佐によって「コントラ」の作戦拠点として使用されていた。「コントラ」とは、中米の左派諸運動、特にニカラグアのサンディニスタ政権に対する軍事作戦を遂行するため、アメリカ中央情報局(CIA)に訓練され、資金援助された準軍事組織だ。中米において暗殺、行方不明、拷問、身体障害、恐怖に脅かされた幾千もの人びとを生み出したのは、このソト・カノから実行されたテロ攻撃や特殊任務だったのである。
ソト・カノ基地は、機動部隊、空軍、治安統合部隊、そして米空軍の第一連隊228から構成される「フォート・ブラボ」(JTF─B)の拠点だ。約600人の兵士、UH─60・ブラックホーク(強襲用ヘリコプター)やCH─47・チヌーク(大型輸送用ヘリコプター)を含む18機の戦闘機を備えている。加えてソト・カノは、ホンジュラス空軍士官学校の本部でもある。650人以上のホンジュラス市民や米国市民が、駐屯地で暮らしているのだ。2005年には基地内での住宅建設が始められたが、それには兵士のためのアパートや様々な居住施設の44件が含まれている。
ホンジュラスの憲法は、国内における外国軍の存在を認めていない。ワシントンとホンジュラス間の「握手」による合意、この「半永久的」な合意が、重要かつ戦略的な、基地内の何百もの米兵の存在を保証しているに過ぎない。これは、1954年に米国がホンジュラスに対して実施した軍事支援の一環として合意されたものだ。
ワシントンは、西半球で3番目に貧しい国であるホンジュラスに、毎年何億ドルもの軍事的・経済的支援を実施している。中米における米軍の存在を認めているこの合意は、なんら通知なしに取り消すこともできてしまう。