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労働者協同組合
労働者協同組合は、労働者が共同出資して共同経営する協同組合。日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会センター事業団は1971年、中高年者を中心とする失業者の働く場づくりから始まった。全国で250の事業所をもち、組合員数は4200人、総事業高は115億円。
世界的に見ると労働者協同組合運動は、すでに無視できない経済規模を誇り、スペインのモンドラゴンなどでは、町の主要産業となっている。ベネズエラでもチャベス政権下で労働者協同組合・自主管理企業が数多く生まれている。弊紙人気シリーズ「アルゼンチンの息吹」で紹介したアルゼンチンにおいても、労働者の協同運営による事業は地域社会で重要な役割を担う。
日本では、まだまだその規模は小さいが、反貧困・反失業の運動や、労働運動のなかでも仕事づくりの手法としても見直されつつある。超党派による「労働者協同組合法」制定運動も強く推進されている。
一方で、歴史的には「労働組合か労働者協同組合か」の論争は繰り返されており、労働運動の側からは「労働者の労働者性を損なう」「労働政策の責任追及を薄める」との疑義も根深い。低賃金の問題や、名古屋における「KY解雇事件」など、理念と実態の乖離を指摘する声もあがっている。未だ試行錯誤の過程であるといえよう。

更新日:2009/09/07(月)

[反貧困] 支え合う職場作り

労働者協同組合

労働者協同組合とは、働く人自身が出資し、経営責任も分かち合い、地域に役立つ労働の実践を理念とする労働者の組織だ。協同労働による「仕事おこし・まちづくり」を目指す。「私たちはどんな働き方を求めるのか?」を考えるシリーズとして、うつや若年過労死の問題、障害者らの労働からの排除の問題などを報告してきたが、今回、「もう一つの働き方」として日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)を取材した。

話をうかがったのは、安賢二さん(労協センター事業団・関西事業本部)、花崎昌子さん(労協センター事業団・滋賀)、馬場義竜さん(地域労協・尼崎都市美化推進企業組合)。労協への参加の経緯や担当する事業部門はそれぞれだが、失業者の就労支援や協同労働の「仲間作り」が共通しており、そこを貫く労協の理念を達成しようとする姿に感銘を受けた。

労協の就労支援の特長は、@一般の就労からは取りこぼされがちな若者や障がい者を対象にし、A企業に押し込んだら支援終了ではなく、就職後も安定して働き続けられる労働主体となるためエンパワーメントを受けること、さらにB共に働く仲間としての変化を遂げ、協同での仕事場作りにも挑戦しようとしていることだ。

働く現場で人のつながりを作り直すための様々な工夫と困難を垣間見た。「働く仲間となるプロセス」はおもしろい!(編集部・山田)

職場が変わる

安賢二さん(29歳)と馬場義竜さん(31歳)が共通して携わったのが、地域若者サポートステーション(サポステ)の運営だ。サポステは、厚労省委託事業として全国で91ヵ所に開設されており、いわゆる「ニート」やひきこもりと呼ばれる若者の就労支援を行う。若者支援といえば「人間力を高める」などと言って、若者の側の「意識改革」を行うことで「自立と自己責任」を押し付け、競争社会への順応・適応力を植え付けることが目的、というのがお決まりだが、労協のそれはもちろん違う。

安さんはこの7月に兵庫県豊岡市で新たに開所したサポステの立ち上げに携わった。安さんが職場の仲間づくりについて考えさせられたのは、山口県宇部市での病院の清掃事業の職場でのことだった。同僚は「おばちゃんばかり」の6人、労協に参加して最初の赴任地だった。

「若いのによくこんな仕事を続けているね」―現場で感じたのは、清掃という仕事への社会的な位置付けの低さと、その反映としての労働者自身が持つコンプレックスだった。そこで、自信と誇りをもてる仕事の質を自分たちの手で作っていこうと話し合った。清掃の技術を高めるだけでなく、協同労働についての思いを話し合い、病院との協議も重視し、接遇の改善にも取り組んだ。

1年が経つころには、病院から「あいさつがいい。他の職員にも見習わせたい」という言葉を受けるようになった。よい仕事を提供し、そこに喜びややりがいを見出し、周囲の評価も得られるという「正のサイクル」を生み出した結果だった。病院の事務長は次のように述べ、協同労働の意義を称えた。「時給が高いだけでは働く人は育たない。職業意識を高めていくことが大切だとわかった」

最後の防波堤

大きな転機が訪れたのは、20代の女性Aさんを職場に迎えてからのことだ。正規雇用で働いたことのないAさんは病院で働き始めた当初、「返事をしない、メモを取らない、掃除中に鏡を見ながら髪をとかしている」などの「問題」が目立っていた。「何らかの発達障害的な傾向がある」と安さんも感じた。

同僚の組合員からも不満が続出していたが、話し合いを繰り返した。「彼女は入った時とどう変わったか、現場で受け入れなければならない部分はどこか―」。本人との面談も粘り強く繰り返したが、沈黙が長く続くこともあった。同僚の奮闘や本人の努力により、ようやく本人も「このままではいけない」と思いはじめ、緩やかな変化があらわれてきた。

「ここで働けなかったら、たぶん他で働けることはないだろう」―一進一退のなかでも辛抱強く変化を待ち続けられたのは、「こういう認識でみんな一致していたからだと思う」と、安さんは振り返る。「長い沈黙の時間や緩やかな変化は、社会では待つことのできない時間だ。待つことができないゆえに社会から切り捨てられていく」。切り捨てが当たり前の世相にあって、ギリギリまで仲間として受け入れていこうという姿勢こそ、協同組合の真骨頂だ。「最後の防波堤としての職場でありたい」―その思いが職場を支えた。

イジメと解雇

そうした試行錯誤の過程で、Aさんへの同僚によるいじめが発覚した。後になって、いじめをしていた同僚は、病院の患者にまで「汚すな」と乱暴なことを言っていたことがわかった。面談を繰り返した後に、辞めてもらうことになった。「最後の防波堤」であるはずの事業現場で首を切ることは、苦痛と困難を伴ったはずだ。だが、そうした混乱とねばり強い話し合いの中で職場が大きく変わっていった。その変化は、新たに障がい者を受け入れるという場で生きた。

知的と視覚の障がいをもつ男性Bさんは、かつて障がい者施設からの研修で清掃現場を訪れていた。彼は民間での職を希望していたが、50社以上の面接を落ち、「福祉的就労しかできない」と言われていた。2ヵ月間の研修を終え、継続した就職を望んだが、同僚からの強い拒否反応があり、無理に入れたら「職場が壊れる」と判断して採用を見送った。

そのBさんを、改めて仲間として職場に受け入れることを決めた。採用に当たっては、同僚の全員一致で決めた。障がいのあるBさんのため、作業手順を模造紙に大きな文字で書き、洗濯機のスイッチには目立つようにテープを貼った。こうした工夫は、現場が自主的に作り上げていったという。

採用から3〜4年目になるが、2人とも今も働き続けている。

安さんは語る。「いったんは社会から排除された人たちがここで働き続けている、このことは非常に意味のあることではないか。他の組合員はしっかりと支えている。その人自身を見つめ、受け入れ、認め合うことを獲得したということではないか」

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