[投書]言わせて聞いて第1353号
消えた「焼肉ドラゴン」 「負の遺産」を忘れるな●井上淳
大阪空港の滑走路の先端を横切るかの様に存在した伊丹・中村の朝鮮人村が消えた。
粗末な家と廃品回収のバラック、そしてジェット轟音さえかき消すかのように臭うホルモン屋、戦後の朝鮮人部落を象徴するように近代空港にへばりつき、その存在を誇示していた。
ホルモンの匂いと人々の息遣いさえ聞こえて来た中村。この地区は大きく威容を誇るマンションや、「リサイクルセンター」などと名前を変えた廃品回収の新しい工場や建物に変わっている。整備された真新しい道路が幅を利かす。地域の職業構造にはまったく変化がないが、外見は一変していた。
建て替わった「伊丹市市営桑津住宅」は、縦にふたつ連なる大きなマンションである。表札に朝鮮風の名前が多いかなと思うくらいで、4階建ての横幅の長い建物の異様さ以外には何の変哲もない。
ここが中村地区だったとか工場建設のために動員された朝鮮人労働者が住んでいた町だということを想像させるものは何もない。あと5年もすれば、ここが朝鮮人部落の中村地区だったなどとは誰も思わないだろう。半世紀以上にわたる朝鮮人労働者の苦悩と受難の歴史はどこに行ったのだろう。マンションに引っ越したとはいえ、立ち退いた人々の胸中には耐え難い、無念の思いがあるのではなかろうか。
「焼肉ドラゴン」という舞台劇がある。姫路在住の在日の監督・鄭義信が、08年に日韓合同で制作されたこの劇は、日本で演劇の賞を総なめにし、韓国でも演じられて大好評を博した。
舞台は「関西のある朝鮮人部落」。実は先の中村地区のことである。
済州島出身の朝鮮人夫婦が経営する焼肉屋が舞台だ。強制労働で片腕を失うが、焼肉屋を始める。親父の名前の龍に因んで「焼肉ドラゴン」の看板を架ける。本人は「買った」と言い張るが、実際は国有地の不法占拠だ。人間の吹き溜まりの様な中村で、いろいろな人間模様が展開する。
鄭監督は中村地区に入り、話を聞き、ホルモンを食らい、同じ空気を吸って物語を作ったそうだ。現実の中村と一体化し、そこで展開される人間の悲喜劇を、面白おかしく、明るく描いている。
済州島から移り住み、数々の辛酸を味わい、喜怒哀楽の中で生き延びてきたアボジやオモニはどこに行ってしまったのだろう?デコボコでところどころに穴が開き、曲がりくねった細い道を行くと、焼肉やホルモンの看板が目に付く。紙や非鉄金属のゴミの山。朝鮮名の表札を出した家、粗末な朝鮮総連の看板。そんな朝鮮人集落は、今やすっかり変わり、なくなった。さびしい限りである。
今年5月末、京都府の「丹波マンガン記念館」が閉鎖となった。戦前から戦後の朝鮮人労働者と被差別部落の人々の血と汗、苦難と苦闘の象徴的遺産だった。在日の親子が館長を務め、支えてきた記念館として何の公的補助も得られないまま消えてしまった。
京都・宇治の「ウトロ」の朝鮮人集落の結末にしても、すっきりしない。
私たちは、過去のあまりにも大きな負の遺産をもう一度真摯に捉えなおし、訴え続けなければならない。忘却してはならないのだ。新しい東アジアでの明日の平和と共生は、アジアの人々との共同のたたかいによってしか、構築されないのだから─。
中村地区をフィールドワークした時、新しい焼肉屋さんを発見した。今度、仲間を募り、おいしい焼肉やホルモンや焼酎で口いっぱいにして、「焼肉ドラゴン」と、新しい中村地区を語りたいと思う。