[海外]アメリカ/子育てか、孤育てか
──玉山ともよ
言葉と文化
昨年のお盆からアメリカに暮らし始めて早くも1年近くになり、いよいよ帰国も近づいた。この間に8才と4才の子ども達は、まさに「知らぬ間に」英語を覚え、私に英語で話しかけてくる。1年でこうなのだから、異国で母国語を維持しようとするのは並大抵ではない。子ども達はスポンジのように、いい言葉も悪い言葉も同じように吸い取って、使いこなしていく。文法もへったくれもない。相手が何を話しているのかが分かり、自分が思っていることが話せて、とりあえず通じればそれでよし。コミュニケーションは生きる術であり、新しいことを覚えてそれを使ってみることの楽しみを一旦覚えると、子ども達は驚くほど早くそれに順応してゆく。
以前にホームステイしていた先のおばあちゃんは、アメリカで生まれ、日本で育った。第2次大戦中にアメリカの30過ぎの日本人労働者に17才で花嫁として迎えられ、以来70年以上もアメリカで生きてこられた。その間、日系人に対する強制移住を免れて自主的に内陸部へ来たものの、夫婦で営んでいた花農園をはじめ多くのものを失った。
そのおばあちゃんは、自分の子ども達と日本語で通じないことを嘆きつつ、同化政策がいかに徹底して行われたか、当時をうかがい知るエピソードをたくさん教えていただいた。3世4世ともなると全く日本的なものがいっそう少なくなる。言葉を失うことが、その文化にとってどれほど致命的か、その役割の大きさは計り知れない。
多様な家族
帰国間近の私にとって、子ども達の言葉はさほど気にするほどのことではなく、それよりも帰国してからまた孤(子)育てが始まると思い、そちらの方が気にかかる。
ご存知のようにアメリカでは離婚が頻繁に行われ、家族の形態も様々だ。養子養女もとても多く、ゲイカップルも珍しくない。
たまたま同居人だった50代のおじさんが、「俺は養育費に毎月400ドル(約4万円)払ってるんだ」と、いかにも得意そうに言っているのを聞いて、ええそれだけ?と驚いたことがあった。それでも「これでも多い方なんだ。200ドルでさえ払わない奴も多い」とのこと。
近所で知り合ったシングルマザー友達も、「離婚した夫はまったく子育てに協力的ではなかった」と言っていた。かと思えば、同じ仲間のシングルファーザーは、週の半分以上は彼が子どもをみて、お金もできるだけ払っていると言ってた。一概に男のほうが全て悪いわけでは全くない。また離婚も一概に悪いことばかりではない。ただ子どもがその影響を大きく受けることは避けられない。多様な家族のありようが、そのまますんなり受け入れられるには、未だアメリカにおいても模索中のように私には映る。