[社会] 難易度高く、重責でも低賃金のケアワーカー
──吉岡多佳子
いびつな人間関係
社会から隔離された施設で業務に大差はないが、資格が医療か介護かで差別化された賃金体系は、そのまま「威張る医療職と叱られる若いケアワーカー」といった関係を作り上げていた。
施設自体が長い間外からの風を入れず、肉体労働で疲れすぎることもあってか、多くの現場ケアワーカーは、あまり人と目を合わせず、口ごもるようにしゃべっていた。
例えば新しい職員に対して「教える」ことができなかったのか、それとも意図的に教えなかったのか、人をいかにも信用していない素振りだった。まれにヘルパー実習生から突っ込んだ質問をされるたびに、年下の先輩たちはやや面倒くさがっているようにもみえた。
大便をした人には基本的に洗浄ボトルにぬるま湯をそのつど汲み、肛門周辺にかけて清拭(ホットタオル)で拭くことになっている。しかし、時間と人手が足りないためできないこともあり、最もトラブルが多い夜間、だんだんとケアワーカーたちが手を抜くことを覚えていったようだ。朝のオムツや尻の汚れの様子で、そんな気配が徐々にわかるようになった。
労災─首に激痛〜退職勧奨
就職して2週間ほどで腰痛になったので、毎晩寝る前に腰痛体操をして腰痛予防に努めた。しかし腰をかばって寝たきりの人のベッドから車椅子への移乗などを含む身体介護を毎日数10名こなし、職場の雰囲気の悪さもストレスとなった。次第に肩こりがひどくなっていたが、倒れ込むように寝るため、それに気づく暇すらなかった。
インフルエンザが発生し、職員も休み始め、人員不足になった。冬というのに朝から汗だくの日々。トイレや風呂の脱衣所で座り込み、汚れた下着やズボンの着替えなどで首も酷使し続けた1ヵ月後のある朝のこと。起きると首に激痛が走り、悲鳴を上げながら起き上がり、首が回らないまま出勤する日が続いた。
ほどなくして医者の診断書が出て、休職することになった。上司と人事と何度か面談し、退職を勧められた。退職と同時に寮を追い出される羽目になり、住居と職をいっぺんに失うことになった。上司や人事は、当たり前のように「実家に帰って休め」と温情主義的に勧めた。
その頃、テレビでは毎日のように派遣村のニュースが流れていた。わたしは派遣労働者ではないが、身体を壊せば使い捨てられる低賃金で過酷なケアワーカーでまさに同じだった。首のムチ打ちに使用するカラーを巻きながら、通院治療と就職活動と不動産屋めぐりの日々で、療養どころではなく、生きた心地がしなかった。ようやく職が決まり、住居も決まったのは、退職・寮退去期限日の1週間前だった。