[反貧困] 巨大老健施設の厳しい現実と女性フリーターの悲哀
──吉岡多佳子
編集部より
今月より吉岡多佳子さんに「時評短評」執筆陣に加わって頂く。自己紹介を兼ねて、昨冬から今春にかけての転職顛末を記してもらった。
要介護の人々の「生存」と、それを支える側の現実生活
社会で生産性が望めず排除されかつ要介護の人々の「生存」と、それを支える側の現実生活を私は話したい。
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働けない・働かない者にも「自立」せよと、措置から契約に移行し成立した障害者自立支援法。そこからさらに遡ること約4半世紀前の1979年養護学校(現・特別支援学校)の各都道府県設置が義務化された。
その10年後の1980年代末、私は「自由な校風」で通っているある高校で、片足がやや不自由なクラスメイトをいじめる女子たちから庇った代わりにいじめを受け、やむなく登校拒否、高校中退した。
お金を貯めて大学に入ったのは28歳で、それまでの13年間、大半の求人は高卒・運転免許が必要だったが(未だにそうである)、最終学歴は中卒より差別される高校中退のまま「低学歴ワーキング・プア」として、パート主婦層やフリーターなどに混ざり、「若いねんから、もっといい仕事あるやろ、なんでこんな3Kの仕事してるんや?」と時折余計なことを言われながら選んだわけでもなくフリーターとして働いてきた。
32歳で大卒になったが、今度は労働市場で年齢差別にあい「高学歴ワーキング・プア」になったが、毎月15万円の月給で生計を立て、大学時代の奨学金も返済している。
10代半ばの頃から図らずも長らく関わらざるを得ず与してきた不登校運動圏において、「健全者社会」から排除された者たちを治療や矯正しようとする施設に象徴される制度に対する批判をよく聞かされてきた。
だが、実際のところ批判する側の大勢自身が、施設現場に隔離収容された体験もなければ、消極的であれ積極的であれ制度としての施設で生計を立てている施設労働者でもなかった。また、見学や実習や付き添いや取材といった表層レベルではなく、一定期間その現場のなかに入って自分の目で実際に見てないのに批判に与することは、わたしは好きではない。
なぜなら、世界をすべてみた訳じゃなくせいぜい1つか2つの企業や学校などのコミュニティのなかでしか通用しない通念や企業・家族・学校福祉を運良く享受できたという意味では、マジョリティこそがこの20年、現実を知らない引きこもりだったとも言えるはずである。にも関わらずあたかも広く社会を知っているかのように幅を利かせ周縁を抑圧する権力と、そしてあるカテゴリーを肯定・否定いずれににせよ、偏見や先入観で他者を決めつけ、勝手に代弁したり代弁される暴力が、長い間アンフェアな社会構造を補強してきた。願わくば自分自身はなるべくそれに加担しないようにと、注意して生きてきたからだ。