[反貧困] 障がい者の「労働」から
【シリーズ】私たちはどんな働き方を求めるのか?2
「働き方」のいびつさを排除の側から問い直すシリーズ第2回。作業所で働く障がい者の労働には最低賃金は適用されず、月平均1万円程度の工賃が支払われるだけだ。「作業所で働くとはどういうことなのか?」―尼崎市の作業所にBさんを訪ねた。
地域の中での居場所作り
「いちばん重度の障がい者にとって働くこととはどういうことか、ということです。メシを食う、息を吸う、一生懸命それをやる人にとっては、それが仕事じゃないでしょうか」─Bさんは即座にこう答えた。
自分の居場所、生き方をどう見出し、作っていくのか、「それ自体が仕事」とBさんは言う。しかも、孤立した空間ではなく、社会的な関わりの中で「みんなで作っていく」ことが強調される。それも最重度の障がい者を基点にして。ただし当然、みんなが最賃以下の収入ではやっていけないので、分業による。「つまり、自分の活かし方を社会の中でどう作るかということです。給料をもらうだけでいいというのは、本来いびつな生き方ではないでしょうか」
「最低賃金を切るといっても、それはお金の世界の話ですから。お金は単なる道具であって、「生活のためにこれだけのお金が必要」というのは、本来的にはひっくり返った基準です」―こう語るBさんは30年来、尼崎で障がい者の運動に関わってきた。活動を始めたころ、障がい者の家庭訪問を繰り返していた。家を出ても行く場所がない障がい者が、自分で行く場所を作り出すことを目指していた。介護をしながらでも集まれる場所をということで、メンバーの中でいちばん重度のひとのアパートを「作業所」ということにした。「生活相談」という建前で集まりを持ったが、「障がい者の生活をどう考えていったらいいのか、教えてもらった」とBさんは振り返る。
だが現実は厳しかった。介護ばかりに時間と労力を取られ、収入がない。何ができるか必死に考えた。朝早くに中央市場に野菜の買い出しに行って、地域の団地などで露天販売もやった。それでも活動を続けていくことは難しかった。
「行政に助成などの制度化をさせないといけない―」。生活支援のための制度の必要性を痛感したBさんは、連日行政の窓口に通い詰めた。「そんなのはBさんの趣味でしょ」とあしらわれる日々だったが、1年が過ぎたころにようやく、年間5万円〜10万円の事業への助成制度ができ、2年後にようやく現在の作業所の原型ができた。