[投書]米の「核の傘」下で北朝鮮を批判する道義性はない
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック 井上澄夫
平和憲法を実現させていこう
私は「原子力の平和利用」を含む核開発・核実験・核保有・核使用のすべてに反対するという立場から、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)が5月25日に行なった地下核実験に抗議する。ただし、後述する「私自身がなすべきことの履行」を条件として、である。
いわゆるNPT(核不拡散条約)は、加盟国の核保有の権利について、まったく不平等な条約である。他国に先駆けて核開発・核実験を行ない、核兵器を保有した5つの国(「核クラブ」と呼ばれる米・英・仏・ロ・中、つまり国連安保理常任理事国)の核保有は特権的に許されるが、その他の国々の保有は禁止されている。しかも「誠実に核軍縮交渉を行なう義務」を負っている「核クラブ」5カ国は「自国の安全保障」を口実に容易に核を手放さない。
となれば、核を保有して「自国の安全保障」を図るために、NPTに加入しない国(イスラエル・インド・パキスタン)やNPTから脱退する国(北朝鮮)が出てくるのは自然のなりゆきではないか。NPTにはとどまるが、公然と核開発を進めるイランのような国もある。世界の多極化のはざまで、自存自衛のために核保有の誘惑に駆られる国がもっと増える可能性さえある。
米英仏ロ中とインド、パキスタン、イスラエルの計8カ国が保有する核弾頭は2万3千3百発以上、うち使用可能な弾頭は約8千4百発だが(出典:スウェーデンのストックホルム国際平和研究所〔SIPRI〕の本年版年鑑)、核が拡散する世界で、核廃絶の大義を主張できるのは、核兵器を保有しないか、他国の「核の傘」に依存しない国だけだ。
日本は今は核武装していない。しかし韓国と共に米国の「核の傘」で守ってもらうことを冷戦期も、冷戦後も、軍事的安全保障の根幹としてきた。自国は米国の核に依存していながら、近隣諸国の核武装は許せないというのは、いかにも身勝手な理屈である。