[海外] ソマリア/アメリカが招いた海賊行為
──4月16日『アルジャジーラ』より レベッカ・マコウ&フィリップ・プリモウ
ソマリア沖海賊と米国の対外政策
ソマリア沖海賊出現で米国は、自分で蒔いた種を刈っているのである。重要な交易海路を脅かす犯罪行為頻発の原因責任は自分に帰するしかないのだ。
ポスト植民地時代のソマリアの国家形成期、米国が野蛮な独裁者を支援したことが、ソマリアの安定的政治機構の発展を阻害し、自治と維持可能な経済成長のための能力を破壊した。ソマリア市場も外国の干渉の犠牲となった。西側―とりわけ米国の援助は、差し出した手で逆手打ちするので、第三世界の人々の不信を買っているが、ソマリアでも同じである。米国政府や諸々のNGOの援助や助力が誤った形でなされたために、ソマリアは経済的に無力となってしまった。
ソマリアの人々が食うために強奪行為に走るのは驚くことではない。我々が今目撃している行為は、悪意や強欲による犯罪ではなく、追い詰められた者たちの死に物狂いの犯罪、最後の手段として犯す罪である。
近代ソマリアは、1960年、イギリス領植民地とイタリア領植民地がそれぞれ独立、やがて合同してソマリア共和国として発足した。立憲民主主義の実験として出発したものの、すぐにモハメド・シアド・バーレ支配の独裁国となった。
バーレは当初ソ連と連携したが、1977年〜79年に関係が悪化した。ソ連はソマリアを見捨て、77年オガデン州分離独立運動に端を発する隣国エチオピアとの戦争では、エチオピアを支持した。ソ連の裏切りに混乱したバーレは、外国との戦争及び国内の抵抗勢力抑圧のために、米国に軍事援助を要請した。
カーター米大統領は武器弾薬支援にOKを出したが、肝心な点で気変わりするなど、煮え切らない態度を取った。大国の援助をなくしたソマリア軍は、エチオピア・キューバ・ソ連の機動部隊によってオガデンから追い出された。バーレ政権は揺らぎ、崩壊寸前となった。
しかし、大統領がカーターから「途方もない冷戦兵士」であるレーガンに変わると、米国は突然アフリカの角への関心を再燃させた。キッシンジャーはバーレと会い、81年から米は独裁者に武器と年額約1億ドルを提供し始めた。見返りに米はアデン湾に面するベルベラ港の支配権を得た。ベルベラは、アフリカの角とアラビア半島におけるソ連の動きに対抗できる絶好の戦略地点であり、石油ルートを監視できる要所でもあった。バーレは米国の武器とお金で支配力を強化し、冷戦時代を生き延びた。しかし、国民は不幸を味わった。
大国の手先になる第三世界のほとんどの政権がそうであるように、バーレ政権は基本的に脆弱で、絶えず外部からの援助を必要としていた。
しかし冷戦が終わると、米国にとってソマリアの重要性はなくなり、援助は浪費だと思われるようになった。米国の支援が減ってくると、国内不安は内戦へと発展した。
91年、バーレは追放され、95年に心臓発作で死亡。その間米国は「人道的見地からのソマリア進撃」を行なったが、「ブラックホーク・ダウン」で失敗に終わった(訳注…93年、「平和維持活動」の一環として、米軍特殊部隊とデルタ・フォースが新鋭ヘリ、ブラックホークを駆使してソマリアに進撃、米兵19人が死亡した。ソマリア側は千人以上も死亡したが、米軍の不面目な敗北として、映画にもなった)。ソマリアは無政府状態となり、現在に至っている。