[社会] 平等化と福祉の充実こそ「治安確保」への道
日本の厳罰化をリードする検察官
犯罪被害者や遺族がオピニオンリーダーとなってマスコミや政治家を通して厳罰化を求めていくプロセスは、世界的な傾向で、「PENAL POPULISM」と呼ばれている。
しかし、浜井浩一氏(龍谷大学法科大学院教授)は、日本の厳罰化政策は、「被害者遺族らの市民運動と検察官の共同作品ともいえるものだ」と指摘し、検察官の役割に注目する。
浜井氏の論拠はまず、検察官の絶大な権限である。起訴・求刑の権限をもつ検察官は、被疑者の内約80%が検察官の段階で最終処分を受けて刑事手続きを終える。被害が軽微で、反省の態度を示し、家族が後見を保証し、被害弁償がなされている場合などは、起訴猶予処分にできる。
起訴する場合も、本人が罪を認め、検察が罰金刑が相当と判断した場合には、書面審査による略式命令を請求できるのである。
こうした制度により正式な裁判を受けるのは全被疑者の7%程度にすぎない。この7%についても、検察官が圧倒的な証拠によって犯罪を立証し、99・9%が有罪となっている。
つまり、形式的には裁判官が最終的な判断を行うのだが、実質的には、公判請求された段階で裁判の結果はほぼ定まっているので、事実上、有罪無罪を決定しているのは検察官だと言えよう。
また、量刑も検察の求刑が基準となる。判決で言い渡される量刑は求刑を越えないことが慣例となっており、求刑は判決の基準線となっている。検察は、有罪・無罪とともに量刑についても完全な主導権を握っているのである。
さらに上訴の権限もある。図@(ウェブ版では非公開)は、上級審で有罪または量刑の増加を示している。過半数を超えるケースで無罪判決が破棄され、逆転有罪判決や1審よりも重い刑が言い渡されている。上訴する権限をもつ検察官は、判決の量刑についても増加させる権限をもっていると言ってよかろう。
司法システム全体の中の検察官の位置も大きい。法務・検察の一体化である。日本の検事は、検察官という法律家であると同時に、法務省の司法官僚として司法行政の企画・法律の立案にも関与している。法務省の中枢ポストのほとんどは検察庁から派遣されており、実質的に法務省をコントロールしている。仮釈放を決定する地方更生保護局長、矯正局長は検事の横滑りである。
次に、裁判官についても死刑判決を下す際に、被害者の人数よりも、犯罪被害者の感情や社会的影響が重視される傾向が強まっており、これが死刑・無期刑の激増に繋がっている。端的な例は、光市母子殺人事件で、06年最高裁は、下級審の無期懲役を差し戻し、事実上死刑判決を命令した。
こうした検察官・裁判官主導の厳罰化を批判する専門家がいる。宮澤節生氏(犯罪学・青山学院大)だ。同氏は、「検察官や裁判官というのは、犯罪の専門家ではない」―とする根拠を次のように述べる。「検察は、個別的事例に基づいた議論に終始しており、『刑罰を厳しくすれば犯罪は少なくなるはずだ』と素朴に信じている一般市民と何ら違いはない」と指摘する。
さらに厳罰化を求める世論によって政策が左右されることの危険性を指摘した上で、体系的な調査・実証研究に基づいて政策を議論することが重要だと主張する。
犯罪被害者を巡る議論そのものについても、犯罪被害者の会の登場によって、@加害者に対しいかに厳罰化を進めるか、被害者が裁判手続きに直接参加するかが議論の中心になってしまい、A医学的・経済的・心理的に被害者援助をいかに進めるのかというものから変化したと総括している。