[コラム] 栗田隆子/「妄想旅行」
2つの仕事観
労働、とりわけ賃労働は「社会のため」という側面と、「己のため」という側面とが一つに解け合っている。しかし「誰かを支えること」と「自分を支える」ことは、考えてみれば全然違う。むしろすんなりとつながるならばそれはユートピアだとすら思う。しかし実際恐ろしいことに「貨幣」というものはそれら2つをつなげる機能を持っているように見える。つまり、「賃金によって自分を支えているし、仕事しているんだから役立たずじゃあないでしょ」という具合に、そのお金がいかに生み出され自分に支払われているかなど一切考えず思考停止すれば、もうそこはユートピア。逆に、労働を考えるという深みに嵌るとこんなSF的妄想が浮かんでくる―。
XXXX年、宇宙飛行はあらゆる人と物を運ぶ運輸業の一つにすぎない。かつて宇宙飛行士はエリートの職種であったが、宇宙飛行技術の進歩によりこの時代ではインフラを支える一労働者に過ぎない。
―うとうと運転していたら進入禁止のエリアに入ってしまった。ワープし、渦に巻き込まれ―不時着だ。不審人物たる私への住民から身元を確認され、「宇宙飛行士です、不時着しました」。相手の眼差しは尊敬のそれへと変わった。が、次の瞬間実に不審な顔つきへと変化した。「あなたは宇宙飛行士という労働に従事しながら、失敗≠したのですね?あなたは労働によって人に迷惑をかけたのですね。よく労働者になれましたね」「!?」「我が星では労働者は誰でもなれるわけではありません。つまり、自分のためではなく、誰かの役に立ちうる能力・体力・そして人格を備えなければならない。つまり、労働者はすべて専門家です。つまり家事・工場労働から行政にいたる職種において幾重にも渡った適性検査を行ったうえで各々の職業に従事してもらうこととなります。かつて我が星では誰でも労働者にならなければならないと、皆が皆、闇雲な努力をした結果、身体を壊し、精神を病み、惨憺たる社会となりました。そのくせ、実際何割かの人間は不器用で失敗ばかりやらかしてしまう。全ての人間が労働を担えるわけではない。我が星ではそれが前提です。労働に従事しているだけで、それは非常に名誉なことなのです」「労働しないでどうやって食べていけるんです?」「最低限の生活を送る年金が与えられ、食べて寝て、自己満足のための趣味や、遊び、スポーツなどをして一生を費やします。労働から引退した人間もそこに加わります」「…」。
と話すうち、ロケットが動き始め慌てて座席に着くや否やいきなりワープ!―また違う星へと降り立つ瞬間、当て身を食らわされしばし卒倒。気がつけば宇宙服が剥ぎ盗られて裸で転がっている!一体ここは―「ああ、労働者≠ノやられたんですね」「?」「我が星では生きるための行為はすべて労働≠ナす。盗みやたかり、依存行為であっても、生き残るための行為であるゆえに労働≠ナす。犯罪にはあたりません。その代わりそれらを防御≠キることも労働≠ナす。私達は生存を第一目的と考えています。かつて私達は、生存そのものよりも効率や能率を求め、経済発展を追及しすぎた結果、自殺が増大し我が星の存続の危機を招いたからです。とはいえ、泥棒や殺人でサバイバルするのはお互いリスキーなので、各共同体内でのセキュリティネットや相互扶助行為は発達しました。しかし余所者は危険そのものです。この共同体ではあなたを支えられないので出ていってほしい。そうでなければ私達の生存のためにあなたを―」。彼の言葉が終わらないうちに、ロケットは動き出しこの星を脱出した―。
さて、私の妄想旅行もこれで終了。皆さんはこの2つの星を笑えますか?