[海外] パレスチナ/「人体が燃える音が聞こえた」
黄燐爆弾、生存者の証言
何もかもが燃えていた。爆弾が次々と着地、それとともに白煙が上った。「黄燐だ」と医者は言っているが、イスラエルは黄燐爆弾使用を否定している。
「本当に恐ろしかった。焼け死ぬかと思った」と語ったのは、カザア地区のファディア・アル・ナジャル(27)。救急隊員の応急手当を受けている夫のハネム(彼も救急隊員)の傍に立って、一家が過ごした恐怖の夜のことを話した。夫は、先ほどの空襲の時、「不思議な白煙で何人かの人が倒れた」という連絡を受け、現場に急行、自分も白煙を吸って意識不明の重体となったのだ。
爆弾投下はカザア地区で始まった。「自宅近くに2発落ちて、炎が家の中を走り抜けました。爆風で割れた窓から真っ白な煙が入ってきました。隣近所の人々の泣き叫ぶ声が聞こえました。風向きが変わり、火の進路が変わりました。子どもたちを私の実家へ移しました。でも、2時間後、実家にも爆弾が当たって燃え始め、階上が全焼しました。子どもたちは大怪我をしました」。こうして、ファディアは、夫と子どもたちの両方の世話で、病室を行ったり来たりしなければならなくなった。「イスラエルは私たちを生きたまま焼きたかったのでしょう。実家の建物には40人いたのですよ。まだ人間の焼き焦げる臭いが消えません」。そして彼女は、「自宅も実家も親類の家も焼失しました。冬の寒い空の下、どこへ行けばよいのでしょう」と途方にくれた顔で語った。
ザカヤ(51)は、ガザ市北西部にあるナセル病院の負傷者でごった返した雑踏の中で、担ぎ込まれた家族を探していた。彼女はマアン・ニュースの記者に、「午後10時頃カザア地区の何箇所かで爆弾の音がして、それがだんだん近づいてきました。私たちは国境の壁の付近に住んでいたので、イスラエル軍の標的になりやすくて、怖くて怖くてたまらなかった。『もう危ない』と思って子どもたちを起こそうとしたその時、2階建ての我が家に爆弾が当たり、家の中は煙で真っ白。その奥から突然炎が噴出してきました」と、集中治療室に入れられた子どものことを気にしながら語った。「怯えて泣き叫ぶ子どもたちを屋外に出そうしているところへ、さらに6発落ちてきました」。6発目が落ちてきた時、残った家族を見捨てざるを得なくなった。炎と煙で救出不可能となったのだ。「煙のまわりが早くて、一寸先が見えなくなりました。子どもたちや、いとこたちの悲鳴や助けを求める声が聞こえてくるのに、どうにもできませんでした。うちだけじゃありません。近所の家の中から焼死していく人々の悲鳴が聞こえました」。救急車が到着、隊員が燃え盛る火の中に飛び込み、何人かを救出したが、やがて家屋は炎に包まれ、ついに崩壊した。(1月13日 『マアン・ニュース・エージェンシー』より)