[反貧困] 名古屋での派遣斬りとホームレスの現状
『見殺しにするな!』泊まり込みで生活保護相談
製造業の大工場地帯を足下に抱える名古屋では、失業した労働者が福祉事務所に殺到し、区役所に泊まり込んで抗議する事態となった。
労働者らは年末年始、日雇い労働者や野宿労働者を支える越冬闘争の現場に身を寄せていた。年が明けてから、越冬闘争実行委員会は生活保護も含めて相談支援活動を展開。住居を失った人々への生活保障を求めてきた。報道や、街頭ビラを受けて、さらに労働者の相談が集中した。
舞台となった中村区役所には、年明けの1月5日以降、連日100名前後の労働者が相談に押しかけた。緊急宿泊所や一時保護所がパンクする中、労働者らは臨時の宿泊場所を提供するよう要求。1月5日、区はまだ十数人の宿泊場所が決まっていないにもかかわらず、「もう宿泊の紹介はできない」と発言。抗議を受けて、「特例」としてカプセルホテルを紹介し、13名が宿泊した。6日には107名が相談に訪れ、宿泊できるのか心配が募る中、夕方になって民間の旧社員寮が緊急宿泊所として確保された。この旧社員寮には連日50〜80名が宿泊した。
13日、その緊急宿泊所について名古屋市は「際限がない」として追加対応の打ち切りを決めた。宿泊希望者と支援者は「見殺しにする気か」「生活保護が必要な人を放り出すのか」と抗議し、区役所に泊まり込んだ。15日、中村区は一時宿泊所として民間のアパートを紹介しはじめた。
東京では日比谷公園の派遣村が一身に注目を集めるなか、厚労省の講堂をはじめ臨時の宿泊場所を確保したうえで、5万円〜1万円程度を生活資金として貸付け支給した。さらに生活保護申請者には通常より短期間で保護開始を決定し、即時に現金を支給するなどしたが、名古屋市の対応とは歴然とした差があった。
現地で取材にあたったEsaman氏の報告を掲載する。(編集部)
『派遣切り』・野宿の労働者が中村区役所に殺到
「住み込み派遣だったが、1月に入って寮を追い出された。手元には2万円も無かった」―ある20代前半の若者はこのように語った。以前なら、仕事がなくなっても次の住み込みの仕事がすぐに見つかったので、「何とかなるだろう」ととりあえず名古屋に来てみたが、「求人情報誌の厚さが半分以下になっていた」。
すぐに現金は底をつき、移動すらできなくなった。街中を歩いてまわり、夜中はネットカフェが入っているビルの1階などで過ごした。「自分が『住所不定・無職』になるとは思わなかった」。区役所での泊まり込みを職安で聞いてやってきたという。米を食べたのも、シャワーを使ったのも何日か振り。「生き返った気がした」。
中村区役所にやってきたのは、以前からホームレスだった人も、彼のように『派遣切り』にあった人たちもいた。最近は目立って派遣切りにあった若い人たちが増えている。何日か野宿をして、人に聞いたり職安で聞いたりしてたどり着く人が多いようだ。ネットカフェや路上には、彼のような若者が多数いるのではないか。
仕事を失い、家もなくなった人々が名古屋駅周辺に多くとどまる。ここを管轄する名古屋市中村区役所に、大勢の労働者が押しかけることになった。また、かつての日本三大ドヤ街である「笹島」を抱える区役所であるということも、相談が殺到した要因のひとつだろう。中村区にある職安(名古屋中公共職業安定所)周辺では、早朝に日雇いの仕事を求めて労働者が集まるが、不況の影響は深刻だ。