更新日:2009/03/08(日)
[反貧困] 釜ヶ崎/派遣村状況が30数年
問題は何も解決せず
「今日は労働者と一緒に、市更相(大阪市立更生相談所)に泊まり込む覚悟です」──釜ヶ崎医療連絡会議(医療連)の大谷隆夫さんが市更相の職員にキッパリと語った。2月4日(水)、医療連をはじめとする失野実(失業と野宿を考える実行委員会)が、3日連続で取り組んだ「対市更相集団生活保護申請・終日監視行動」の初日の一場面である。生活保護の相談に来た労働者に対して、市更相が「何もできない」と開き直るなら、せめて市更相を夜間開放させると、毛布持参での行動だ。
「生活保護を食い物にするピンハネ・ボッタクリ福祉(※注@)に騙されるよりも、自分で申請書を書いて生活保護の申請に行こう!」との呼びかけに、初日は33人、2日目以降も100人以上の労働者が申請に集まった。
釜ヶ崎労働者からの生活保護相談に対して様々な口実で門前払いしてきた市更相。働きたくても仕事がない現状で生活保護が受けられない日雇労働者は、この寒空の下、野宿生活しかない。ちょうど1年前の2月4日には、釜ヶ崎近くの杏林記念病院が、治療を受けた労働者を路上に放置し、凍死させるという事件があった。「とにかくこの3日間は、申請に来た労働者を1人も野宿に戻さない」(大谷さん)ことが目標だ。
この日も、「身体が悪くないと生活保護は取れない」「65歳にならないと取れない」というウソで却下しようとした市更相に、労働者や失野実メンバーが抗議。その結果、申請を受付させ、生活ケアセンター(釜ヶ崎内にある救護施設・三徳寮に付設され、14日以内の短期宿泊が可能)への入所が実現した。また、生保の受給が決まって、翌日からアパート探しに奔走する労働者の姿も見られた。
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