[コラム] 迫共/「保育現場での気づき」とジェンダー・セクシュアリティの視点から
皆様、はじめまして迫 共(さこともや)と申します。このたび「時評・短評」の執筆担当として加えていただく事になりました。
人民新聞では昨年年12月5日号で、書籍『恋愛のフツーがわかりません!! ゆらぎのセクシュアリティ考2』(アットワークス)をご紹介いただきました。ROS(Rockdom of sexuality)という多様な性のあり方を認める人たちのサークルに所属して活動や議論をしたり、もちろん遊んだり飲んだりもしています。 私自身は今のところ、ゲイやトランスジェンダーではありませんが、女/男らしさを押しつけたり、押しつけられたりするのは苦手です。そして生き方全般に選択肢は多い方がいいと思いながら、ゆるやかにジェンダー・セクシュアリティ関係の活動に関わっています。20代前半から人権問題や平和運動に関わり続けてきたので、自分ではその延長のように思っています。
普段の仕事は大阪市内の保育園で事務員をしながら、大学院で幼児教育(保育史)研究をしています。自分の中に保育とセクシュアリティという二つの柱があることを話すと、ずいぶん変った人間だと思われてしまうのですが、根本的には繋がりのある問題だと思っています。子どもの教育について考えるにも、ジェンダーやセクシュアリティの理解があるのとないのとでは大違いになります。
保育現場をジェンダー視点で見ると、少子化、子作り・子育ての困難さ、シングルマザーの問題などが浮んできます。それらを単純に「女性の問題」と考えて、男性が口を挟むことを嫌い、「お母さんが頑張るしかない」といったお題目をくり返す幼児教育関係者もいます。 軽々しく「保守的な考えは悪だ! ジェンダフリーを!」と言うつもりはありません。でも自分の性別役割意識に無自覚であることはとても危険な事だと思うのです。保育現場はたやすくそれらの再生産の場になってしまうからです。
保育現場での気づきとジェンダー・セクシュアリティ的視点とは繋がらないところもあります。とりわけセクシュアリティの視点は普段、多くの人が気づかない問題の提起になると思っています。「時評・短評」ではこれら複眼的な視点から、そのつど考えた事を書かせて頂ければと思っています。
さてセクシュアリティの多様なあり方について、ちょっと興味はあるけど何をどう考えたらいいか分からない、という人には次のイベントがお勧めです。
「第4回関西クィア映画祭」、1月23日(金)〜27日(火)、会場は大阪梅田のHEPHALL。
クィアとは「ヘンタイ」を自称する言葉。同性愛やトランスジェンダー。「秘宝館」を取材した作品の他、個人的には最終日の短編集「アジア・メンズ・スペシャル」に登場する高嶺格監督の『木村さん』がお勧めです。10分足らずの作品に、身体障害者の性と、主に男性の性意識の枠組みを揺さぶる問いかけが凝縮されています。