[コラム] 栗田隆子/「死なず、殺さず、殺させず」から本当の「再構築」を
10年後の世界へ
ちょうど10年前から日本国内の自殺者数が3万人を越え、2008年も3万人を超えたそうだ。ちなみに07年時点、人口1億を超える国で自殺者数と自殺率のどちらもワースト10に入っている国はロシアと日本であった。質量ともに日本は世界に名だたる自殺国である。
東京に住んでいる私は、通勤時ほぼ毎日といっていいくらいどこかの車両で人身事故のアナウンスを聞く。電車の遅延がしばしばおこる。それはそうだろう。年間3万人ならば毎日80人以上がそのような死に追い込まれているのだから。こんなことがほんとうに、ほんとうに「おかしい」と腹の底から感じなければこの社会は変わらない。
今後10年の展望をわずかながらも打ち出すためにこの文章を書いているわけだが、まずは非核3原則ではないが「死なず、殺さず、殺させず」が大前提となること。とにかく死なない、殺さない、殺させない。それが大前提の社会を作り出すこと。自分に向かう暴力とそこから捩れて他人に向かう暴力を、「生きる」方向へと向かわせるために、「『生』を支えあうこと」を前提とした社会のシステムに再構築することだ。
現行の法律を実行するという地道な営みも、システムを組みなおすという表現と一見矛盾するようだが、この日本社会では必要だ。労働3法等の基本的人権を謳った素敵な法の遵守を徹底させていくこと。法を守ることが保身のためではなく、互いの生を支える言葉として力を持たせることだ。
「使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8時間を超えて、労働させてはならない」という労働基準法がいまだに「実施」されないのはなぜか。労働組合は届出も要らず2人以上の労働者がいれば結成できる、なんていう事実もほとんど知られていないのはなぜか。そのくせ主婦パート等を雇用の調整弁としている雇用状況をなんら変革することなく、若年層に拡大させていくやりかたで人件費を削り、さらに不景気になれば容赦なく人を切る現状がまかり通っている。
過労で倒れるまで働かせ、要らなくなれば容赦なく使い捨てることが「悪」ではなくいわば「スタンダード」となってしまった現状。それが「悪」なのだと法律を読み「気づいて」いくことが社会を変える第一歩だ。本当に足元の法律に理想は描かれているのに、我々はともすれば忘れ、放置したままなのだから。(フリーターズフリー 栗田隆子)