[コラム] 伊田広行/連続的な秩序の崩しと部分的な解放区の創出を
不安と絶望の先に
加藤周一氏の追悼番組で、1968年のパリ・5月革命において、「生活を変えよう」「生き方を変えよう」ということが言われていたと紹介されていた。
バリケードの中では、社会の枠組みを根底から問い直す議論がなされ、「想像力が権力を掌握する」「君は社会の歯車になっていくのか?」などと根本的に自分の生き方をみつめ、新しい社会と個人のあり方を模索する言葉が飛び交っていたという。
さまざまな限界もあったろうが、ダイナミックに物事が動いていくときの「大きな激流」は、相乗的相互作用によって多くの一人一人が従来とは違う意識感覚で生きていくことをもたらしたと思う。
今、世界の一部で起っている若者、プレカリアートたちの反逆的なうねりは、40年前と似た可能性を持っているのではないか? アメリカによる対テロ戦争という名の勝手な動き、環境破壊、グローバリゼーションと新自由主義による格差の拡大などのなかで、もうその『たわごと』には騙されない、という精神が広がっていると感じる。
不安と絶望の先に、このままではダメだ、もう飽きた、何もかも、もう終わりだ、ぶっ壊してやる、もう黙ってないぞ、もうガマンしないぞ、もう信じない、勝手にやってやる、というような気持がじわじわ床の下を這い上がってきている。
今までの穏健な中産階層の価値観とは真逆的に、働かない、自己責任じゃない、金持ちや権力者よちょっと来い、スクウォットする、貧乏に生きる、スローに生きる、半農半X的・自給自足的・DIY的・ワーク・ライフ・バランス的に生きる、長時間会社に縛られてちんけな給料をもらうんじゃなくて、楽しく生きる、NPOや組合で対抗していく、というような水位が上がってきている。
パリで街中にバリケードによる解放区ができたように、これからもいかに「解放区」=「革命後の社会の先取り的な空間や人間関係、生きるスタイル」をつくっていくかであろう。私が反貧困の運動の展望としてもつのは、そうした、連続的な秩序の崩しと部分的な解放区の創出である。
制度論にせずアート的反逆を!
正統派的な法改正や政治的改革や労働運動ももちろん必要だが、プレカリアートたちのアナーキーなエネルギーの奔流を、ダムを作って、コンクリートの狭い用水路を作って、分散させ管理し、勢いを削いではならない。
つまり言いたいのは、エリートや官僚やらが「話を取るな」ということである。エリートや官僚やらが知らない裏路地で楽しんじゃえ!それが、魅力的な爆発の必要条件である。賢しらに、制度論にするな、アート的反逆を尊重しろ、というのが、『もうひとつの世界』を構想する、という時に必要な観点だと思う。
専門家・学者のつまらない話に収斂させるな! 「ユニオン・エクスタシー」(京大の時間雇用職員の労働組合)のような、理解不能を蔓延させよ!(ユニオンぼちぼち 伊田広行)