[社会] 大阪釜ヶ崎/臨時宿泊所に殺到
大失業期の釜ヶ崎 多難な年明け迎える
大阪府・市が越年対策として、住居のない労働者に提供している大阪南港の臨時宿泊所には、昨年より114人多い、1324名の労働者が入所した。
「第39回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会」や「失業と野宿を考える実行委員会」などが、入所者を対象に実施した聞き取り調査によると(協力者数339名)、回答者の年代は50代が40%(135名)、60代が39%(131名)と多く、20代、30代はともに4名ずつだった。初めて臨泊を利用するという労働者は39%(133名)だった。
最近寝ていた場所については(複数回答あり)、釜ヶ崎のシェルターを利用していた労働者が最も多く56%(220名)、テントや小屋がけを持たずに野宿していた労働者が19%(74名)、他にドヤや施設が続き、安定した住居を持たない労働者が多数を占めた。
10月から12月の3ヵ月間に釜ヶ崎から日雇いで就労できた回数は61%(206名)がゼロ回と答え、10回未満の労働者が84%だった。12月の総収入は2万円未満が53%(180名)、うちゼロ円か「ほとんどなし」だったのが35名だった。4万円未満の労働者(77名)を合わせると76%となり、仕事の減少が住居の喪失に直結し、セーフティネットが機能していないことがうかがえた。
聞き取り調査では「仕事がほしい」の声が相次いだ。「解体の仕事をしているが、全体的に仕事がない。釜に来て4年。去年までは仕事があって、南港の世話になることはなかった。センターまわりで野宿している」(40代)。
「名古屋で12月3日に派遣切りにあった」(40代)―日雇い建設の仕事ではなく、いわゆる派遣切りの労働者など、釜ヶ崎外からの流入もあった。「今年6月で契約社員の契約が切れ、家賃が払えず野宿になった」(50代)。「仕事がなくて困っている。以前はアルミサッシの組立・配送をしていた。釜に来たのは1ヵ月前」(40代)
飯場からあぶれた労働者も列を作っている。「最近4ヵ月間、堺の飯場にいたが、仕事がなく赤字生活」(50代)。釜ヶ崎にとっては建設不況の影響が深刻だ。