更新日:2009/01/17(土)
[社会] 大阪扇町/協同の野営テント
野宿者・派遣・飯場労働者の垣根なく
JR大阪駅に近い扇町公園では、大阪キタ越冬闘争実行委員会が越年越冬闘争を実施した。
大阪では、派遣切りが騒がれ始めた12月以降も、野宿する労働者が増えていたわけではなかった。変化が現れ始めたのは、「派遣村」の影響を受けて、「炊き出しを実施している場所」として扇町の取り組みが新聞で報道されて以降だった。野営人数は日を追うごとに増え、炊き出しの配食数は普段の3割り増しの100食に及んだ。30人程度を予定していた寝床もパンク状態となった。
昨年12月25日に寮を出た派遣切り被害の労働者も、新聞に掲載されていたのを見て、年明けに扇町公園にたどり着いた。テント村で雇用促進住宅などの派遣切り対策を知り、炊き出しと野営テントで命をつないだ。1月5日の野営テントの撤去の日、テント村に求人に来た警備会社の誘いに応じ、会社の寮に入ることにした。「すぐに働けるところがいいですから」
Sさん(33)は2年前から日雇い派遣で働いていた。昨年10月ごろから仕事が減り、週に1〜2回しか働けなくなった。アパートの家賃は2ヵ月分を滞納し借金もでき、12月下旬から野宿生活となった。扇町のテント村へたどり着いたのは1月2日。役所の軒下でダンボールハウスで寝ようとしていたところを、野営テントに宿泊する労働者が見つけ、声を掛けた。「そこにおったからな、連れてきたったわ」。彼は1月7日、安定した仕事を探すため、自立支援センター入所の手続きを取った。
それでも野営拠点の大半は派遣労働とは縁のない、アルミ缶回収や都市雑業でしのぐ野宿労働者たちだった。
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