更新日:2009/01/06(火)
[コラム] 遥矢当/「羞恥心」に甘えた介護行政の無策
行政、事業者の対応で差
「間に合わなかったよ」──12月に入った朝、朝礼中に携帯を鳴らしてきたのは我が親父だった。祖母が逝ったという報せだ。親父は、祖母が暮らす仙台市に向かうため早朝から新幹線に乗り込んでいた。電話口からは親父の嗚咽がかすかに漏れ、北に向かう列車が鉄路を駆け抜ける音が響いていた。享年95歳。祖母は天寿をまっとうしたと言って良いと思えた。
私が最後に祖母の顔を見たのは3年前。母が逝って、その報告のために仙台を訪れた時だった。高齢で、唯一の祖父母とあって、私も常に気に掛けていた。
しかし驚いたことに、祖母は生前、近隣のデイサービスに行くくらいで、介護保険制度をほとんど活用していなかった。担当のケアマネージャーは、祖母の状態が安定しているのを見て、本格的に祖母の終末について相談を受けてくれなかったという。
ケアマネージャーの仕事は介護を社会的に調整することだ。だが、事業所の経営安定のため「ノルマ」が課せられる仕事でもある。祖母のように比較的楽なケースは、彼らにとってノルマ達成のために担当する場合が多い。祖母のケアプランを実際に眺めたが、ケアマネージャーのそんな本音が伝わってきそうだった。
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