[海外] 韓国/労働ネットワークを訪問して
──映像作家・在日2世 金 稔万
情報発信を闘いの武器に
ソウルの地下鉄、ヨンドンポ駅から歩いて5分。雑居ビルの3階にある韓国労働ネットワークの事務所を訪問した。
大きなスペースではないが、様々な機材がところ狭しと置かれている。ソニー製ビデオカメラ。台湾製の三脚。パソコンは韓国製。実用性に主眼が置かれた機材の選択に思われた。スタッフも事務局長を含めて6人だと言う。
事務局長の李龍根さんに「なぜ、韓国労働ネットワークを設立したのか?」聞いた。
韓国労働ネットワークは1996年に創立された。その当時、一世を風靡したインターネットカフェなどを通じて急速に普及しつつあったインターネットの活用に着目する。目的としては、さまざまな社会運動団体にインターネットを利用できる環境を支援すること。具体的には、ホームページを作ったり、サーバーの提供などから出発した。いろんな情報にすぐにアクセスできるポータルサイトを立ち上げ、商業的なものではないネット空間を創り、労働組合や労働団体との情報通信・交流・協力を媒介する団体として創設された。
そもそも韓国労働ネットワークが創立された1996年とはどういう年だったのか? 歴史的な背景を考えてみたい。
「我々は機械ではない」の命の叫びから
1970年11月13日、労働者の生の残酷さを告発すべく自らの身に火を放ち、静かに労働運動の火をともした全泰壱。彼の焼身自殺が韓国労働運動の原点である。
資本・政府一体となった弾圧は続いたが、民主的、自主的な労働運動を目指す動きは止まらなかった。80年代に入り光州抗争を経て、全斗煥軍事独裁に反対する学生運動が労働運動と結びつく。
「労学連帯」のスローガンの下、学生運動家が労働運動へ大量に流入する。約3000人の学生が労働現場に入り、今日の労働運動の基礎を築いた。これが87年の労働者大闘争につながっていった。