[反貧困] 就農支援足がかりに、田舎暮らしを実現
──丹波市市島 宮崎徹さん
中古車販売から百姓へ
「自分の得意・不得意がわかってきた。今年は、得意な品種に絞って、自分の畑に合った野菜作りをやってみたい」。宮崎徹さん(36才)は、就農4年目。60eの畑に五十品目程の野菜と10eの田んぼに有機栽培米を作っている。
宮崎さんの就農前の職業は中古車販売。「もともと車好きだった」という宮崎さんは、お客さんからの注文を受けてオークションで買い付け・販売していた。販売拠点は大阪市内だったが、納車で丹波をドライブした際、里山が残る田園風景を見て「こんなところで住めたらな」という思いが蘇った。
大津(滋賀県)の自然豊かな田舎で育った宮崎さんにとって大阪は、働くにはいいが、住む場所として快適とは思えなかった。自然が好きで、大学も農学部で農業土木を専攻した。卒業後就職した農業土木設計事務所を辞める時も、「農業」は頭に浮かんだが、「百姓では食えない」と諦めていた。
丹波の田園風景に接して甦った田舎暮らしへの憧れは、「農」への関心へと移り、「農業人フェア」に参加する。就農を希望する若者と、受け入れ町村の出会いのイベントだ。
たまたま目に止まったのが「有機の里=市島町」を掲げるブース。市島町は、町や農協が有機農業振興を推進した全国で最初の例だと言われている。
「農業をやるなら有機栽培」と決めていた宮崎さんは、丹波市の新規就農支援事業の話を聞いた。新規就農者に、1年間120万円の助成があるという。「1千万円は必要」といわれる新規就農だが、そんな貯金はない宮崎さんにとって、こうした支援事業は魅力だった。さらに市島町は、大消費地である京阪神に日帰りの距離だし、NPO「いちじま丹波太郎」が住居・田畑探しなども手伝ってくれるという。「ここならやれるかもしれない」。
04年4月、「丹波太郎」の斡旋で古工場の敷地にある社宅の一室を借り、研修生に。農家で研修を続けながら、工場敷地にある菜園で野菜作りを始めた。