[情報] 過酷なタンクローリー勤務から有機農業へ
排気ガスと工場噴煙が田舎暮らしを後押し〜古谷洋瓶さん
「採れたてのブルーベリーってこんなに美味しいものなの!」奥丹波ブルーベリー農場を訪れた人は、芳醇な甘さと香りに驚く。ジャムなどの加工品用果実というイメージが強いブルーベリーだが、生食、しかも有機栽培国内産の味は格別だ。
丹波で有機農業を始めて5年。季節の野菜とブルーベリー550本を育てる古谷洋瓶さん(30才)は、。ブルーベリーを育て始めて3年。世話をし続けた古谷さん自身がその美味しさにあらためて惚れ込んだという。
「今年・来年は収量も味も上がる。観光摘み取り園として充実させたい」こんな抱負を語る古谷さんだが、5年の道のりは、険しいものだった。
体が壊れるのは時間の問題
古谷さんは、農業とはまったく縁のない生活を送ってきた。京都市の市街地で生まれ、就職したのは泉大津にあるガソリン運送会社。「集団行動が苦手」という古谷さんは、タンクローリーに乗りこめば1人になれるドライバーとして入社した。
しかし「規制緩和」の波が押し寄せ、猛烈な競争に追い立てられた。24時間・365日、精油所からスタンドへガソリンを運び続けるタンクローリー勤務は、出社時刻も不規則だ。早朝・昼出・深夜勤務がめまぐるしく変わり、「体が壊れるのは時間の問題」だった。
「全く頭になかった」という農業が古谷さんの視野に入ったのは、連れ合いである暁子さんが「気分転換に読んでみたら」と勧めた「にんじんから宇宙へ」。農薬を使わない自然農法実践農家・赤峰勝人氏の有名な本だ。
当時の住居が工場地帯で幹線道路も近く、排気ガスと工場噴煙に悩まされていた古谷さんは、同書によって環境と食と農が一つのものとして繋がり、職業として「農」が選択肢に入ったという。
暁子さんがインターネットで有機農業関連の情報を集め、洋瓶さんは農業体験ツアーに参加した。本に出会って3ヵ月後という素早い決断と行動だが、暁子さんは当初反対だったという。暁子さんの母親の実家が京野菜専業農家。幼い頃から農家の生活を間近でみて、たいへんさを知っていたからだ。「代々やっている百姓でも大変なのに、素人ができる筈がない」。
「今から思えば無謀な計画だった」と振り返る古谷さんだが、農業体験ツアー参加の時には「やる」と決めていた。市島町(兵庫県丹波市、旧氷上郡)でタイミングよく家が見つかり、丹波市が実施する新規就農者支援制度に応募。野菜作りから始めることとなった。
丹波市の新規就農者支援制度は、1年以内の研修期間中に月額10万円以内の研修費が支給され、5年以上就農すれば、返済が免除される。まずまずの滑り出しと思えた。