[政治] 裁判員制度/死刑判決に強制動員
市民をして市民を処罰させる
「国民が義務を課され、国家権力の行使に動員される法律というのはどこにもない。やっていることも軍隊と同じ殺人。暴走するのは目に見えている」(安田好弘弁護士)。
来年5月から「裁判員制度」が始まる。政府・与野党・マスコミ・日弁連すべてが賛成した裁判員制度。私たちはその意思に関わらず、「死刑か否か」という重罪の刑事裁判に強制的に参加させられることになる。「光市母子殺人事件」のような裁判に、私たちが動員されようとしているのだ。
政府は、裁判員制度導入の目的を、@国民に分かりやすい、迅速な裁判になる。A裁判員から質問や意見が出されることで、裁判が明確で理解しやすい納得のいくものになる──と説明する。
しかし「国民の意見」が必要というなら、「死刑か否か」を問う刑事事件よりも、国賠事件や労働裁判の方がより適切ではないのか。市民・労働者の権利・生活を踏みにじる者・権力を批判することこそ、必要ではないのか。
「市民をして市民を処罰させる。恐ろしき隣組的治安管理時代の到来である」とは、高山俊吉弁護士の評だ。
強制と思想調査
裁判員制度の対象となるのは刑事事件、しかも殺人・強盗致死傷・傷害致死・放火・身代金目的誘拐などの「重い」事件のみだ。1件の裁判につき、3人の裁判官に6人の裁判員が加えられる。導入は一審のみである。
裁判員は衆院選の選挙権を持つ人の中から選ばれる。1年毎にくじで「裁判員候補者名簿」が作られ、この中から、刑事事件ごとに、再びくじで裁判員候補者が選ばれる。
いったん裁判員の候補者に選ばれたら、裁判所に自分の仕事や家庭の事情を明かさなければならず、「答えたくない」もダメ。しかも、「仕事が忙しい」「他人を裁きたくない」という理由では拒否できない。さらに候補者に「呼出状」と共に送られてくる「質問票」が曲者だ。