[投書] フリーター運動は「高学歴インテリ左翼の気まぐれ」? その2
編集部より
1307号に続いて、フリーター運動の側からの意見を掲載する。「フリーター運動をやっている人は 高学歴の人が多く、選択の余地なくフリーターを強いられている人々と違うのでは?」との疑問への回答だ。
「立場の違い」による否定でなく、闘いの共有を!●反戦と生活のための表現解放行動 P
私自身は直接「フリーター・ユニオンの活動」をしているわけでも、それほど高学歴でもないということもあり、やや躊躇しながらですが、今回の「感想」を書かれたあなたに応答をしてみようと思います。
まず、「感想」にあるような高学歴のインテリ左翼(特に男性)と低学歴フリーター(おもに女性?)という対比には少し違和感がありました。これまでの労働運動でも、女性パート労働者や日雇い労働者など、より困難な立場からの運動は、運動全体から見ればマイナーであったとしても、いくつも存在してきたと思います。
私も実はあまりよくは知らないのですが、たとえば七〇年代から主婦の立場から女性解放をめざして、主婦パート=女性「時給労働者」の労働運動を取り組んだ「パート・未組織労働者連絡会」というグループがあります。そのサイトには、「女性の労働カレンダー」と題して、週に三日が労働日、二日が家事・育児・介護―つまり生命の再生産の日、残りの二日が社会活動日(趣味・学習・市民活動など)、というアイデアが載っていました。
「このようなライフスタイルを保障するだけの賃金を出せ」という意味なのですが、これは「労働に八時間、休息など再生産に八時間、好きなことに八時間」という労働運動の原則的なスローガンの単なる言い換えだということだけでなく、週五日=月曜から金曜までフルタイムで働くのでないライフスタイルを肯定的に考えるためのヒントになるのでは、と感銘を受けました。(再生産に育児・介護もふくめているところも)。
こうした示唆に富む取り組みを知ることは、いろいろ触発されます。立場が違っていても、自分の関心事に引きつけて、あれこれ考える契機になります。自分が関わっている取り組みに不十分なところが見えてきたりもします。
確かに学生時分からの関係や、流れの中から出てきた取り組みもあるので、「立場が違う」ということで、あなたに反発・否定されるということはあるでしょう。私自身、断片的にではあっても、これまでのいろいろ違った立場からの運動というものに触れて、どこまで自分の中にきちんと消化し活かすことができているかを振り返ると、大変心もとないものです。
したがって、「インテリ左翼の気まぐれ」「余裕と知識があっても状況を変えられない」「声の大きい流暢に喋る男性が中心」「パターナリズム」「スポイルされて損するばかりで、ばかばかしい」…といった否定的な「感想」に強く反論する気も起きません。私も、あなたと同じく、「『持たざる多くの女性』たちの、容易にコトバにならない思いや生存を知りたいと思います」。
しかし、やはりこのような対比による否定の仕方もどうかと思います。「持たざる多くの女性」もまた、さまざまな形で思いを語り、たたかってきたし、現にたたかっています。ただ、私がそのことを見過ごしてしまっているだけなのだ、と私は思うのです。
私やあなたが関わる運動の中には、これまで「持たざる多くの女性」がたたかってきた領域と、その蓄積のいくつのも断片があります。そのことに、もっともっと注意深くありたいと思います。