[コラム] 深見史/愛媛・松山市の焚書事件
お笑いバックラッシュは笑えない
愛媛県松山市の男女共同参画推進センター(通称「コムズ」)から、「ジェンダー」という字が題名に入った書籍が撤去されている、と同市在住の友人が知らせてきた。
昨年一二月、松山市議会は、「ジェンダー学の研究を奨励しないことや、男女の特性の違いについて配慮することなどを求める請願」を賛成多数で可決した。書籍の撤去は、可決した請願の項目「I松山市はジェンダー学あるいは女性学の学習あるいは研究を奨励しないこと」をまじめに実践したものと思える。
ところが実は、これら書籍の撤去はすでに二〇〇三年から始まっていたことが先月発覚した。コムズが管理する書籍のうち、「ジェンダー」という文字が題名に入った本二一冊がすでに閲覧禁止にされていたらしい。この年は、「松山市男女共同参画推進条例」が施行された年である。
市民や議員からの質問に対して、市は閲覧禁止措置の根拠を、「国の指導に基づいた」だの、「条例にはジェンダー・フリーという用語が使用されていないため」だのと意味不明、真偽不明の回答を繰り返すのみだったという。いずれにせよ、松山市・市議会の感覚には「開いた口がふさがらない」という使いたくもない常套句を使うしかない。
松山市役所や同市男女共同参画推進センターに勤める人々は、この笑いでもしなければやっていられない状況でどのように勤務しているのだろうか、非常に心配だ。
このような請願が行われ、可決され実行された背景には、教育基本法改悪など日本社会全体の右傾化がある。請願者は、「これら(教育基本法等)の改正法では、伝統と文化の尊重、規範意識と公共の精神の醸成、家族と家庭の重視などが掲げられています。ジェンダーフリーの思想はこれらの価値観と全く相容れません」「このように私たちを取り巻く社会の情勢は、松山市が男女共同参画推進条例を制定した頃とは大きく変わっています」と、大きく右に傾き崩壊寸前の日本社会の現状を嬉嬉として述べている。
「家族と家庭の重視」「専業主婦の社会的貢献の評価」と、バックラッシュの常套文言が並ぶ「請願」は、言うまでもなく全国的に組織された反動であり、外国人排除運動と実行者は同一だ。
彼らが見ているのは、現実社会の中で進行している人間関係ではなく、幻の「国」と「家」だ。人が対等に愛し合うこと、認め合うことを嫌悪し、支配と隷属にしか価値を見いだすことができないのが彼らなのだ。
この三〇年、国際化による急激な関係の広がりを感じずにはいられない。女の解放はこうして、人と人とが無限に関わっていく中でなされていくものであり、それは誰にも止め得ない歴史の流れである、ということが実感される。今の私たちは、過ちを犯しながらも、人間に対する信頼に基づいた結論に至る過程の中にあるのだ──と信じることができる。
しかし、この国で今起こっているバックラッシュは、こうして作り上げてきたもの、人と人とが認め合い、尊重しあう関係が新たな世界を構築するものだという思いを、一挙に空虚なものとしてしまう。それは「彼ら」が活発に動き、それに負けてしまう人や自治体があるから、ではない。「彼ら」が女とまともにつきあうことができなかったこと、「彼ら」が対等な人間関係があるということを学ばなかったこと、「彼ら」が利害や損得抜きの人間関係を作ることができなかったことは、戦後社会の成長がその程度のものだった、ということを否応なく私たちに突きつけるからだ。いったい、私(たち)はこれまで何をしてきたのだろう、と考えずにはいられない。
かつてナチスは、反ナチス思想、ユダヤ人が書いた書物を「焚書」した。アインシュタインの著作を始め、多くの学者・作家の作品を灰にする愚かな行為を大喜びで行った若者たちがいた。このとき焼かれたハイネの詩集には、「書物を焼くところでは最終的に人間も焼かれるのだ」という詩があった。
「コムズ」の行為は現代の「焚書」だ。次は何を禁止する?