[海外] パレスチナ/敗北したのはパレスチナ民族ではなくイスラエルの政策
電子インティファーダ アリ・アブニマハ 3/7
メルカズ・ハラワ宗教学校(エルサレム)襲撃について
イスラエルのガザ回廊のパレスチナ人虐殺に関して、国際社会は沈黙している。しかしその一方、先日エルサレムのメルカズ・ハラヴ・イェシバ(訳注・イェシバは宗教学校の意)をパレスチナ人が襲撃して八人の学生を殺害した事件に関しては、国際社会の非難と「お悔やみ」の声は素早かった。
「私はオルメルト首相に電話し、犠牲者、犠牲者の家族、イスラエル国民への心からの哀悼の念を伝えた」と、ブッシュ大統領が言った。潘基文国連事務総長も、ヨーロッパ連合のジャヴィエル・ソラナ代表も「非難」と「お悔やみ」を表明した(訳注・西側メディアも、「和平プロセスに終止符を打つテロ」とか「罪のない生徒を残忍に殺戮」などの見出しの報道ラッシュだった)。
この事件の前日、ガザではアミラ・アブ・アセルの葬儀があった。彼女は生後二〇日の赤ん坊で、家族とともに友人宅を訪問中、イスラエル軍の襲撃にあって、頭を射抜かれた。言うまでもないが、彼女はカッサム弾を発射したわけでも、イスラエルを攻撃したわけでもない。
その他、イスラエル軍に撃ち殺され、その死体をジープで轢かれて滅茶苦茶にされた人々も多くいるが、大統領も、国連事務総長も、EU代表も、イスラエルへの非難も、犠牲者へのお悔やみも表明しなかった。メディアも素知らぬ顔。まるでパレスチナ人は完全な「人間以下」の存在に見えるのだろうか。
パレスチナ人にせよ、イスラエル人にせよ、同じ民間人が犠牲になった時の国際社会の反応の違いは、両者を分離する誤った認識に起因している。イスラエル人の死は「テロリズム」の犠牲と認識され、パレスチナ人の死は「テロの戦い」から偶発的に生じた不幸な結果に過ぎない、と解釈されるのだ。しかし、エルサレムで起きたことは、この数十年間イスラエルがパレスチナ人にやってきたことの直接的結果で、どちらも不可分なのだ。
私は、相手がイスラエル人であっても、民間人殺害は嫌悪すべき犯罪だと思っている。そんなことで、シオニストのパレスチナ入植によって引き起こされた一〇〇年戦争を終わらせることはできない。イスラエルはこの事件を(いつもそうだが)利用し、パレスチナ人の暴力を、残酷な占領と抑圧と切り離して、憎しみを動機とするテロとして大宣伝するだろう。トーラー(旧約聖書のモーセ五書)研究に生涯を捧げる敬虔な宗教学生の殺害は、「パレスチナ人の野蛮性、暴力性、残忍性」をプロパガンダする好材料となる。
西側メディアが、「何故メルカズ・ハラヴ・イェシバが標的になったか?」を分析することは、まずないだろう。