更新日:08/03/01(土)
[社会] 生協/目先の利益優先で運動理念を忘れた
──食品流通業界 鈴木伸明
ギョーザ事件、私はこう思う
ギョーザ事件であらためて生協運動が「運動」としての質を失っている現状を再確認することになった。国内の生産物にこだわることを止めたのはかなり前の話だが、ただ「安い」という理由だけで、中国からの輸入ギョーザを大々的に取り扱い、今回の件で社会問題の渦中にあり、言い訳に終始する姿は、「生協、何する所?」という感が強い。
大手の流通資本と同じ土俵にあがり、自ら進んで競争関係に入る事を選んだ時点で、運動の終わりを感じたものだが。このままでは、根本的な方向の見直し、転換が図られなければ、大手流通資本との競争に敗れ衰退していく道を辿るしかない。日本生協連も大きくなりすぎて、組織の維持・経営的な観点が主要な課題になり、質的な退廃を見るばかりである。
「生協」の名前を捨てて、「株式会社」になった方がよりスタンスがはっきりするのでは?と言いたくなる。「消費者」を惑わすようなあり方はよくない。小規模な組織で、運動的な側面をきちんと持ちながら進めている生協組織には迷惑な話でしかない。
それにしても、目先の課題ばかりを優先し、先を見据えた「構想・運動理念」を鍛えないと、やがて社会的な存在意義を失い、致命的な結果を招く。そんな「警告」が聞こえてくる、今回の日本生協連の「哀れな姿」である。
続きは本紙 【月3回発行】 にて。購読方法はこちらです。