[海外] パレスチナ/占領とオリーブ
──07/11/6 マハマド・ジャラド(オルタナティブ・インフォメーション・センター)
本当の連帯・和平の姿は援農作業の中に
パレスチナではオリーブ収穫が始まる時期である。重要な年中行事で、一〇年前まで学校も大学も二週間の農繁休暇になり、学生たちは家族と一緒に、きついが楽しい収穫作業を行なったものだった。
オリーブは神聖視され、農民とオリーブの樹の間には特別な関係ができあがった。西岸地区南部の町ヤッタの農民=アブ・アリは、その関係を「父と息子のような関係」と言う。オリーブ油生産はパレスチナ国民所得のほぼ二五%を占め、特に西岸地区北部の農民たちの生計の糧となっている。
そのオリーブ畑が、入植地を繋ぐバイパスや分離壁建設のため、次々とブルドーザーで破壊されている。また入植者たちの格好の攻撃の的となっている。
彼らは入植地に隣接するオリーブ畑の木々を引っこ抜き、切り倒し、破壊した農地を没収して入植地の一部とする。また、嫌がらせのためにオリーブ畑を破壊し、パレスチナ人が先祖代々の土地を捨てて他所へ移るように圧力をかける。
第二次インティファーダの間、百万本以上の樹木が破壊され、その九〇%がオリーブであった。
この数年間、オリーブ収穫中のパレスチナ人への入植者の襲撃が特に頻繁になった。入植者は、オリーブ収穫がパレスチナの経済や社会発展に持つ意味を知っているから、収穫を妨害するために攻撃を強めているのである。多くのパレスチナ人が入植者の凶弾に倒れ、畑へ出かけることさえできなくなった。
トゥバス町の農民=アリ・トバシは悲しい顔で次のように語った。「入植者たちは私の顔に銃口を突きつけ、私を畑から追い出し、一家の歴史と尊厳を踏みにじった。祖父が植え、父が植え、私が植えたオリーブの木を、彼らは根こそぎにした。昔から代々『祖先は私たちが食べれるようにオリーブを植えた。だから私たちも子孫が食べれるようにオリーブを植えなければならない』と教えられてきた。オリーブの樹を植え、育てることが一家の仕事であり、歴史だったのです」
今年も入植者の襲撃が激しく、収穫の初日から農民は畑へ出かけることができなかったり、畑に釘付けになったりした。
ナブルスの西にあるシャラフ村では、近くのシャヴェイ・ショムロン入植地の武装入植者が、家族で収穫の仕事をやっている農民を襲った。威嚇射撃をして農民を畑から追い出した。この蛮行は警備の任務についていたイスラエル兵の目の前で行なわれたにもかかわらず、兵隊は傍観しているだけであった。
またタル村の農民=ヒンディーヤは、イツハル入植地の入植者から「畑を立ち退け」と強要され、それを拒否すると銃の台尻で殴打され、入院しなければならないほどの大怪我を負わされた。
同じような事件がヘブロン南部の丘陵地帯にあるスシャ入植地やカーメル入植地の付近で頻発している。