[社会] 野宿者の生きられる場所
前略、テント村から
ガン!ガン!ガン!
一定のリズムで鳴り続ける金属音で目を覚す。土曜の朝の扇町公園の私の寝床兼書斎。耳を澄まさずとも毛布に流れ込んでくる音。車道の排気音をベースに、すずめのさえずり、遠くに子どもの喚声。心地よいリズム音は、岡崎さんがアルミ缶をブロックでたたきつぶす音。平日にため込んだアルミ缶をつぶして、大きな袋に入れて換金するための作業音だ。
隣のTさん夫婦は土日が休み。ト、ト、トと包丁がまな板をたたく。今日はのこぎりとかなづちの音も聞こえる。表に出ると、Nさんが集めた材木で北風除けの大きなおおいを作っていた。
広場をのぞきに行くと、子どもたちがドッヂボールをしているのを、小春日和、野宿の仲間が芝生に腰掛けてぼんやりながめていた。
「二月一五日は山田さんの一周忌をやりますからね!」昨年の強制排除(二〇〇六年一月三〇日)でうつぼ公園から扇町に引っ越してきた森下さんが、いつものように語気を強める。「金曜日やけど、日にちをズラすわけにもいかんでしょ」
山田さんが亡くなったのは長居の強制排除(二〇〇七年二月五日)の直後のことだった。森下さんと一緒に扇町公園に引っ越してから一年。二匹の犬と一緒に暮らした自分の小屋の中で永眠した。享年五三歳。うつぼにいたころから親しかった友人は、「生活の変化は大きなストレスだったようです」と語る。
私が使っている眼鏡とクツは昨年末に山田さんからプレゼントされたものだ。しめて約二万円。人一倍働き者の山田さんは、自他共に認める地域のアルミ缶労働者の稼ぎ頭だった。だが、うつぼで毎日のようにいっしょに飲んだくれていた仲間と離ればなれになってからは、めっきり人と接する機会が減っていた。森下さんは「だから金が余ってしゃあないねん」と笑う。何度も山田さんに「いっしょに飲もう」と声をかけられていたのに、忙しさにかまけてお座なりにしていたことを私は今も悔やんでいる。(N)