[社会] 競争社会はもうたくさん
──フリーター全般労組 梶屋大輔
はじめに
競争社会に適応できない人間でも生きやすい世の中を模索したい。グッドウィルユニオン委員長 梶屋大輔さん(二五)の本業は、引きこもりやニートの再出発を支援するNPOのスタッフである。
今年二月から準備してきた日雇派遣業会最大手であるグッドウィルとの争議は、敵失もあって勝利的に進んでいる。八月二三日には、約三〇人の組合員が原告となりデータ装備費の全額返還を求め東京地裁へ提訴した。
さらに九月三日には、「フルキャスト」・「グッドウィル」に続き「マイ・ワーク」でもユニオンを結成。データ装備費、集合時間からの賃金、不当なペナルティ、会社都合のキャンセル時の賃金などについて労働基準監督署に一斉申告も開始した。不安定労働とひきこもり、二つの現場で活動する梶屋さんに運動を始めた動機や将来を語ってもらった。(編集部)
ニート支援と非正規労働運動で活躍
梶屋さんが初めてデモに参加したのは、昨年八月の「八・五プレカリアート@アキバ」である。サウンドデモのDJを含む三人が逮捕された「自由と生存のメーデー 」(〇六年四月)の「やりかえし」として企画されたデモだ。デモというものを見たことがなかった梶屋さんは、作家・雨宮処凛さんに誘われて参加。隊列全体を人ひとり抜け出す隙間もないほどに警察が取り囲むという異様さを目の当たりにした。
当時、すでにNPOのスタッフとして活動していた梶屋さんは、大学時代の就職活動で大きくつまずいた。就職活動を開始した大学三年の秋学期には、真面目に勉強をし、卒業に必要な単位はほぼ取り終えていた。大学入学当初からやりたいことがなく、自宅と学校、アルバイト先を行き来する生活を送っていた梶屋さんは、就職活動を前にして「心からやりたい仕事」がない自分を発見する。
企業説明会や、就職活動のやり方を学ぶセミナーなどに足しげく通い、自己分析を行い、自分に向いていると思われる仕事をひねり出したりもした。不採用が続き、面接の回数も増えると過去にされた質問が蓄積される。それに対する回答をしっかりと準備して次の面接に向うのだが、度重なる不採用で自信を喪失しているため、面接官から突っ込んだ質問をされると、気持ちがついて行かず、前向きな発言ができなかった。結局、書類を送った会社は一〇〇社を超え、約三〇社の面接にこぎ着けたが、全敗した。
大学四年の夏前、就職活動のための貯金が底をついてきたこともあり、泥沼の闘いから距離を置いた。アルバイトから社員になることも視野に入れ、バイク便とケーブルテレビの営業を始めた。この時期にフリーターとしての生活を考え、当時まだ新しかったニートや、フリーターについての本を読み漁る日々が続いた。どちらの仕事も半年ほど勤めたが、双方とも労働条件・環境が悪く、とても自分がやっていける職業ではないと判断した。
卒業後は、登録していた人材派遣会社の紹介予定派遣で、精密機械メーカーの営業職として働くことになった。しかし、その会社でも半年の試用期間終了を前に「営業職としての適性がない」と判断され、クビに。その後、東京のベンチャー企業などを受け、ジョブカフェに足を運び、面接を受ける生活が続いた。
「もうあなたはアウトローだから、好きなようにやればいいよ」。ジョブカフェ相談員のこの言葉で、背負っていた重い何かが取れた気がした。
大学から会社への移行をスムースにつなぐ就業システムはすでに崩れていた。「自己責任」が叫ばれる一方で、正社員の椅子は激減し、過酷なイス取りゲームになっていた。誰かが椅子に座れば、座れない者が必ず生まれるイス取りゲーム。正社員の椅子に座れない若者に向けられる自己責任論は、イスが減っているという事実を覆い隠す。